フリーライターはすごくない。

「フリーライターです」

そう名乗ると、たいてい返ってくるのが「すごい!」と「かっこいい!」の2言だ。

その時、いつも私は「響きだけですよ」と伝える。

相手は謙遜だと思っているかもしれないが、私自身、フリーライターという職業をすごいと思ったことは本当にない。


昔から文を書くのが好きだった。

自分の気持ちを人に話すよりも、紙相手にまとめたほうがすっきりとした。

そもそも私がフリーライターという職業を選んだ動機もかっこよさとはかけ離れている。


もともと私は接客業をしていた。

しかし、私は愛想がない。お客さんに向かって愛想笑いというものができない。

だから接客業をやりながらも、常に「人と関わらない世界に行きたい」と思っていた。

そんなとき、在宅ワークという職種を知り、ライターという職業があることに驚いた。

私の書く文章でお金がもらえるなんて、すごい!と思ったのだ。

初めて請け負った仕事は1000文字書いて数百円という激安な案件だった。

けれど、そんな激安案件でも私は自分の書いた文でお金がはいってくるということを申し訳なく思ったり、「本当にいいのかな」と思っていた。

こんなお金の稼ぎ方があることを知らなかったので、違和感しかなかった。


自分の書いた1文字1文字がお金になるということは、私にいろいろな気持ちを芽生えさせた。

中でも特に感じたのは、1文字の大切さだ。

ライターなんて文字を書くことでいくらでも人を傷つけられる。

中傷的な記事を書いてしまえば、他人の人生だって奪えると思う。

だからこそ、私は誰かの道を奪うような文字は書きたくないなと、いつも思っている。

誰かの心を殺すことは、結局私自身の心を殺すことにも繋がる気がする。


そして、ライターの面白いところは飽きが来ないということだ。

例えば、同じようなテーマを出されても、全く違った記事になる。

言い回しはもちろんだけれど、相手との信頼関係の深さでも記事の方向性が自然に変わってくるように思う。

私が書きたいものか、相手が求めているものを書くべきなのか悩んだ時もあった。

自分の書きたい言葉が書けずに、モヤモヤもした。

文を仕事にしているのに、なんで自分の書きたいことが書けないんだろうと思ったりもした。

けれど、結局ライターなんて主観性よりも、客観性が大事なのだ。


作家さんとは違って、私の意見やこだわりなんて大多数の人にとっては流し読みされる程度なのだ。

だからこそ、面白いと思う。

いかに人を惹きつけられる文が書けるかを自分の中で問い詰めていくと、自分の主観性が永遠の敵になる。

そう思うと、結局私は自分が満足するためにライターをやっているだけなんだと思う。

だからライターという職業を必要以上に持ち上げられると、自己満足のためなんですと言いたくなってしまう。


フリーランスはプレッシャーが多い。

自分との闘いだから、どれだけいい案件を取ってこれるかも勝負だ。

でも、接客業とは違って誰かに媚びなくてもいい。

一匹狼気質な私には、やっぱりこんな生き方や職業が心底あっているらしい。


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