他人の幸せの基準はわからないし、いくら説いても変えられない
こんにちは。
ツイ廃気味なただの大学3年生、ゆずポン酢です。
長いこと心の中にあった考えが、やっと自分の経験と言葉をもって表現できそうなのでここに残しておこうと思います。
突然ですが、
人はだいたい15年くらい生きたところから、自分や身内と比べて他人をジャッジすることができるようになります。
(たかが20歳で何言ってんだという感じではありますが、自戒も込めて、そう思います)
あんなのは良くない、普通じゃない、絶対やめた方がいいのに、等々
例えば私なんかは、煙草が好きな人をみると
「くさいし、体にも良くないからやめたほうがいいのに」
と思います。
同じように、
ある生活習慣によって苦しんでいる身内を見て「どうしてそんな生活を続けるんだろう」と思い、その人を救いたいと深く悩み、ある大先輩に相談したことがありました。
その人が私に話したのは彼の助け方ではなく、「彼が変わらないのは、その生活で幸せだからなんじゃないか」ということでした。
煙草の例えに戻りますが、
煙草が好きな人からしたら
・喫煙所で生まれるコミュニケーションもあるし
・数分吸うだけで気分転換できるからおやつ買いに行くよりよっぽどタイムコスパいいし
吸わない私の方が損しているとも言えるかもしれません。
しかも、私が大好きなチョコやポテチだって、脂肪と糖たっぷりで身体に良くない。
でも、「自分が幸せ」だからやめない。
他人にどれだけ自分の好物や生活を享受することのデメリットを説かれたところで、チョコの有害さを説かれたところで、自分的には美味しくて幸せだからオッケー!!
逆に、他人にどんなに自分サイドの生活の良さを説いてもその人の生活を変えることはできないのです。
(商品の営業などはまた別ですが...)
大先輩にそう言われ、納得した私は
「そうか、まあ君が幸せならそれでいいんだ」
と彼の人生が進んで苦しみから離れることを祈ることしかできないことを、納得こそしていたもののモヤモヤは残っていました。
どうしても書きたいことがまだ残っていますが、今日はここまで。また明日書きます。