纏う意味
ふと、電車のホームに立っている時、自分は周りからどう見えているのだろうと、漠然と考えてしまう瞬間がある。
インスタで好きなモデルが着ていた花柄のワンピース、秒殺で完売した東京限定のオレンジ色のコンバース、肩からはボーナスの大半を使った牛革のショルダーを少し短めにさげている。
学生の頃、皆んなと同じものを持つことに安堵感を感じ、自分は輪の中に入れているのかと必死で流行を追いかけていた。
決められたお小遣いの中で、必要以上の背伸びをせず毎日を楽しんでいたあの頃は、今の自分にとって、ただただ愛しい時間であることは間違いない。
30代目前、今の自分は何のために服を買っているのだろう。
何のために次から次と色んな服を着て街を歩いているんだろう。
自分が着たいから?周りに見せたいから?
それとも
自分の空虚な心の穴を埋めたいから?
高層ビルのような大人(まわり)に紛れて呼吸をしていることに気づいたとき、全身を走るこの感覚が私をどんどん灰色なスペースへと堕としていき、世の中の全ての色が目の前から消えてしまう。
そして、いつしか自分がこの世にいないような錯覚に陥る。
虚像の自分が背筋を伸ばしても、そこには所詮何も実体しないのに。
新しい服を重ねていけばいくほど、自分の中の不安を隠し、優越感や確証のない自信を持とうとしていた。
色んなしがらみに呑み込まれ、その不安が打ち勝つとき、自分がただの偽物の鎧を取っ替え引っ替え買い続けることに気づき、無意味な行為に腹の底から苛立ちを感じる。
いくら高価なもので身を隠しても、中身に意思がないのならどんなものさえも色を纏わない。
反対に中身に息があるのならば、どんなものさえも鮮やかに光を放ってくれる。
胸を張って街を歩くこと。
それはきっと身に纏う鎧の厚さではなく
自分自身に胸を張れたときなんだと。