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ひとかけらの余韻

何を書きたいのだろう。

何を伝えたいのだろう。

書きたい、という気持ちが湧き上がるとき、必ずしも伝えたい、という気持ちが比例するわけではないと気付いた。

残したい。

こっちの方がしっくりくる。
書くことで落ち着き、残すことで満足する。



今年に入ってから無性に「映画を観たい!」という欲求が高まっている。

これは私にしてはめずらしい傾向だ。
というのも、近年は(コロナの影響もあって)映画館から足が遠のいてしまっているし、気になった作品は地上波で放送されるまで気長に待つタイプ。レンタルすることもほぼ無い。
動画配信サービスにも加入しているけれど映画ではない別の作品たちを観るのに利用していて、結局のところ映画は年に1、2本しか触れていなかった。

映像よりも文字から読み取って感じる方が好きなのかもしれない。


それが今年に入ってから、動画配信サービスを利用して視聴した映画は7本。
年が明けてまだ2週間しか経っていないのに、すでに私史上最高の年間記録数を叩き出し、自分でも驚いている。
このままの勢いで一年走り続けるかどうかは分からないが、「映画を観たい」という私にとって非常に稀な欲求が、どこに行き着き何を得るのか見届けたい。


映画に限ったことではないけれど、作品に触れた余韻が、ほとんどは数日で抜けてしまうけれどその欠片が体のどこかに残っていて、日常のふとした時にほろりと光って何てことない瞬間を愛しく思わせてくれるのがいい。

漫画なら台詞を思い出すことが多い。小説ならお気に入りの一文やシーンを思い出す。
物語のようにはいかない私の日常を、少しだけ可笑しくしてくれる絶妙なスパイス。

映画は、本よりも日常への影響が直接的かもしれない。
通りを歩くとき、洗い物をしているとき、パソコンから顔を上げたとき、マグカップに口を付けたとき。
些細な瞬間にふと思い起こされて、今こうしている自分の手元や視界に映る世界も、映画のワンシーンのように見えてくる。
今、この瞬間、そのすべてに意味があるのかもしれない。日常のほんの一コマを、丁寧に切り取って慈しみたくなる。


せっかくだから、映画の感想を手書きのノートにまとめようか。メモ程度でもいいから、観た記録を残しておきたい。
日が経つにつれて作品の解釈や印象に残ったシーン、気になる登場人物も変化していく。思い付いたことをどんどん書き込めるようにページを広く使うことにしよう。


先ほどベランダから見上げた満月も、布団の中でこの文章をスマホに打ちこむ今も、私主演の映画のワンシーンになっているのだろうか。

ひとかけらの余韻とともに、今夜も想像を膨らませながら。


おやすみなさい。みなさん、よい夢を。


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