夏の小枝あつめ
頭の中は毎日おしゃべりだ。
こんなにもスラスラと巧みに(時には物語のナレーション風に、あるいは淡々とエッセイ風に)一人言を連ねているというのに、文字に残さないことで“何も無い日”と未来の私が振り返ってしまうのなら、それはあまりにも惜しい。
でも、書こうとしてはやめてしまう。
1、2行だけ書いてみたものの、続かないまま永遠に眠った文章がスマホのメモ欄に溜まっている。
だって暑いから。
言葉が、ぷわっと浮かんでパチッとはじける。
原形を忘れないうちに急いでこねてのばして広げて練ってまとめてキジにするのは、それなりの労力が必要だ。
しゅわしゅわあふれる生まれての言葉は、拾いあげなければ消えて、それっきり。
喉をすべる爽快感は時間が経つほど失われて、その瞬間の感覚は二度と取り戻せなくなる。
だから文章は眠らせない方がいい。
落ち着いた時に、ではなく新鮮なまま記した方がいいのだ。(私の場合は、だけれど。)
最近、ちょっと外出が多かった。
今日はどんな風が吹くのか、雨は降らないか、石につまずかないか。
朝起きるとそんなことばかり考えていたから、こんな風に一人で黙々と文章を継ぎ足していく作業というのは久しぶりだ。
ここで16行目。
文章という「枝」を前に葉を付けるか摘み取るか、長さや間隔はどうするかなど自由に調整していくのは楽しい。
思考は蔓のように螺旋を描き、頼りなげに迷いながら世界に絡みつく。
書こうとしていたものがあったはずなのだけれど思い出せない。
代わりに、文字に残そうとして残さなかった忘れかけの言葉たちを並べてみたいと思う。
見えないものばかりに目を向けていては疲れてしまうから、実際に見たものを思い出してみる。
こんなとりとめのない文章でも、その日を生きた証になるのだから。
テレビの中のライオンの赤ちゃん、その瞳
土に埋まった蝉の抜け殻
日が暮れる庭、小鳥の呼び声
まな板のゴーヤ、大怪獣の尻尾
コンビニのソフトクリームと宇宙服
太陽色のケチャップライスをくるむ、向日葵の花びらのような卵
真夏の夜にはレアチーズケーキが似合う
百日紅のチアダンス
朝顔、青空の小さな花火
七色の恵みのシャワー
光に膨らむ雲の峰、水田を走る風
透けたヒレ、きらめく鱗、なめらかな銀色
ベガのまばゆい輝き、ダイヤモンド
さそりの永遠の命、ルビー
物語を書けそうな、いや何も起こらなそうな・・・・・・。
穏やかな夜を迎えられますように。
それでは、また。