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白紙の名言集②
「階段島」の心に残っている言葉をみたら、「サクラダリセット」のも気になってしまいまったので、引き続き更新します。こちらは「階段島」と比べると数は少ないです。おそらく心に残っている言葉はたくさんあるのに、メモし忘れているのかもしれません。気づき次第、追記するつもりです。
河野裕『猫と幽霊と日曜日の革命 サクラダリセット1』(角川文庫,2016)
──伝え方を工夫するわよ。それが伝えるべきことなら、正しい方法で、正しい言葉を使って、正しく伝える。
言葉を探すというのは、まっ白なジグソーパズルみたいに難しいと感じることがある。
河野裕『魔女と思い出と赤い目をした女の子 サクラダリセット2』(角川文庫,2016)
「思考のパターンのようなものだと思います。それぞれの状況下で、なにを考えて、どういった行動をとるのか、という部分です」
「私は、私がまだきちんと人を愛していることを、できるなら確信したい」
河野裕『機械仕掛けの選択 サクラダリセット3』(角川文庫,2016)
「好意をなんでも恋愛に結びつけるのはよくないね。僕はスパゲティーが好きだけど、ミートソースに恋しているわけじゃない」
「適切な意思を持ち、適切な場所にいたなら、欲しい情報は手に入るものなのよ。自動的に、なんだって」
「そんなわけがない。選ぶべきじゃないから、間違ったことなんだよ」
河野裕『さよならがまだ喉につかえていた サクラダリセット4』(角川文庫,2016)
「なんでも、気楽な方がいい。そうだな、私たちは下らない話をしよう。無意味で、思わず眠くなってしまうような。ただ心地よいだけの話をしよう」
理想に届かないことが、すべてを諦める理由にはならない。浅井ケイは、きっとそうだ。きっと、ずっと、そうだ。
河野裕『片手の楽園 サクラダリセット5』(角川文庫,2017)
「そうだよ。正しいものは、どこかが正しくない。正しくない所まで理解して、それでもなお正しいものだけが、本当に正しいものだ」
「私は成長したいのです。ケイにとって私がなによりも価値を持つ人間であれば、なにも怯えずにいられます」
河野裕『少年と少女と、 サクラダリセット6』(角川文庫、2017)
「自分を許すために、人は優しくなるんだよ」
河野裕『少年と少女と正しさを巡る物語』(角川文庫,2017)
「仕事なんて、なんでもいいことに気づいたのよ。どんなことだってベストを尽くそうとしたらそこそこ楽しめるような気がするもの。コンビニのレジ打ちだってモグラ叩きよりは充実しているわよ、きっと」
「答えがわかっているのに遠回りするのは、ケイ。貴方の悪い癖ね」
抱きしめ合うには遠すぎる。
けれど、握手するにはちょうどいい距離に、ふたりはいる。
それはどちらかというと悲劇だが、スプーン一杯程度の幸せがないわけでもなかった。
やはり「階段島」と比べると少ないですね。メモしてないのが多そうです。
私は最後の相麻菫の言葉がいちばん心に残っています。ほぼ日でつけてる日記のタイトルをそこからとって「スプーン一杯程度の幸せ」にしてるくらいです。『さよならがまだ喉につかえていた』の野ノ尾盛夏の言葉も相麻の地の言葉と同じくらい心にとどめていますが。
私の中でサクラダといえば、『魔女と思い出と赤い目をした女の子』で魔女が石ころに恋をできるか問うところと、『片手の楽園』で野良猫屋敷のおじさんが野ノ尾盛夏に正しいものの見つけ方を説くところが想起されます。
「架見崎」と「十二国記」の言葉もメモしながら読み返して、更新できそうだったら更新しようと思います。