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選挙の季節に、いちミュージシャンが民主主義と政治について考える。

僕は、民主主義は繊細で危険な食べ物みたいなものだなと思っています。
鮮度を保つには大変な努力が必要。みんなでよく見て鮮度が保たれているかチェックしないとすぐにカビたり腐ってしまう。
すぐに悪玉菌が増殖してしまうケアが必要な繊細な手間がかかる食べ物なのです。
そして腐ってしまった民主主義は強烈な猛毒になります。
最高レベルに危険で、食べたら死ぬような。
腐った民主主義を摂取した社会は死んでしまう。
維持できれば最高に美味しい食材ですが、とても管理が面倒くさい。
しかも管理する人が大勢いるとさらに大変。誰かが管理してくれるだろうと人任せになると結局誰も管理せず放置されるとあっという間に腐ってしまう。
どうしてそんな大変なものを食べようとするのか。他の食べ物より美味しいからでなのでしょう。ずっと昔の人たちが色々食べてみて試してみて、ベストではないけどこれが一番いいんじゃない?という食べ物が民主主義。
僕らは生まれてこの方、民主主義というものしか知らないので他のものの味は分かりませんが、先人が残してくれた知識や情報のおかげで他の食べ物がどんな味がするのか学ぶことができています。

物騒な事件もたくさん起きています。
先日は官邸に車で突っ込むという事件もありました。
こういう事件がおそらくもっと増えるでしょう。凶悪な事件も増える。
僕らは不安になる。防犯を!という声が大きくなる。
そして警察と監視が強くなる。人々はそれを受け入れる。
コロナの時も制限と監視を受け入れた。よくわからないけど悪いことにはなってないのでは?と思っている人が多数。自主的に監視する人、自警団まがいの人まで現れた。監視と防犯は強化される。犯罪を防ぐことは大切。
でもそれがちょうど良いところでは止まることができないのが人間。
間違いなく過剰になる。そしてテロリズムも過剰になる。互いに過剰になる。
どんどんそんな世の中になる。
権力はますます強力になる。人々も安全のためにそれを後押しする。
そして何が起きるか。その帰結は歴史が知っている。
僕らの祖父母、曽祖父母が知っている。

日本の報道の自由度ランキングが70位。
つまり僕らは無知な状態に誘導されている。
僕らが知るべきことと知らなくてもいいことは明確に選別されている。誰に?
誰かにとって、僕らは無知でバカな肥えた豚であれ、ということなのでしょう。
僕らは誰かの食肉にされるように飼育されているような状態。
それを僕らは知らない。それが報道の自由度ランキング70位ということ。
僕らはそれに怒らないままなら家畜にされる。

今、与党と呼ばれる集団が何を意図して何をしてきたのかはよくわかりました。
僕は支持できません。
大日本帝国というこの国を滅ぼしたシステムの時代に戻ることを保守と呼ぶような欺瞞の人々も支持できない。
覇気を失ったリベラルと呼ばれる人々にも失望。
「誰がやっても同じ」という意見は思考停止であるけれど、ある意味では真理でもある。それはつまり今のシステム全体の中では「誰がやっても同じ」ということではないかと思います。
それでも、放棄することはできない。
放棄した瞬間、民主主義は腐って僕らにとって最悪の猛毒に変化してしまう。
僕らは酷い目にあって命を落とすことになる。
その猛毒になる瞬間は歴史に嫌というほど刻まれている。

病巣の根本は政治政党だけの問題ではなく官僚を含めた日本の権力のシステム全体の問題なのでしょう。そのくらいは素人目にもわかります。
それがかなり根深いことであろうことも。
改善策が恐ろしく大変なのは想像に難くありません。
その具体策や分析は学者や研究者や気骨あるジャーナリストの知見に学びたいと思っていますが、それを見聞きするにつけその果てしなさにため息しか出ない。
でも自分が民主主義という繊細で手のかかる仕組みの元で生きていて、主権者という責任を負わされている以上、その手間を惜しむことは自分の生活を破壊し命を縮めることなので、真剣に考えざると得ない。そんな責任は面倒だから逃げる、とはできないのが民主主義の国に生きている人間の運命。政治に参加せざるを得ないのは民主主義の国で生きている僕らの運命なのです。避けることができない運命なのです。非常に大変。非常に面倒。労力が大きい割に変化はよくわからない。が、それを惜しむとあっという間に奈落の底に落ちるということを歴史は残酷なほどあからさまに見せてくれているし、この数十年の日本の落ち方を見ただけで納得できます。その面倒くささと労力は運命として受け入れなくてはいけない。
そして選挙の時には、病巣となっているそのシステムを1ミリくらいは変えられるような未来を想像しながら、投票する。

ミュージシャンやアーティストが政治のことを発言しない、という指摘が話題になっています。それぞれに様々な理由や背景があるのでしょう。でも多くの人たちは「ずっと何にも考えてこなかったので怖くて今更発言できない」という、理念も理想もない、しょぼい理由なのだろうなと僕は思います。



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