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4年半を経て。僕らは何が変わったのだろう。

4年半ぶりにアメリカに行ってきました。

何度も同じような話を書いている気もするのですが、僕はこうして書きながら考える人間なのでご勘弁ください。僕らはアメリカに移住し、そこで音楽活動をし、ビザ更新のために一時帰国したまさにその瞬間にコロナに遭遇しました。
そして世界は変わりました。
大きな主語を使ってしまいました。それは僕らにとっての「世界」かもしれません。でもコロナが世界を変えたという表現は一般論にしてしまってもそれほど大袈裟ではないかなと思っています。4年半も時間が経つとコロナが起きたあの時のこともだんだん忘れかけていきますが、僕らにとっては忘れられない時間です。その時僕らは家も仕事も住民票もない状態で帰国しました。それは自然なことでした。だってアメリカに住んでいたのですから。ビザも無事更新し、数週間友人の家を間借りして日本での年末年始の長めの休暇を楽しんでまたツアーに戻る予定でした。小さな異変が起きて年が明け、あれよあれよという間に全てがロックダウンされていきました。僕らのある時間はそこで止まり、ある時間は大きく変わりました。もしかしたら死んでしまう可能性だってあるのでは、と考えたのは皆さんもそうなのではないでしょうか。最早アメリカだとか音楽だとか言っている場合ではない。そう思ったこともありました。正体のわからない感染に対するサバイバルと、家も仕事もないという社会的なサバイバルの両方を同時に行わなければならなかったのです。僕らは幸いなことに今こうして生きています。そのサバイバルを生き延びることができました。「生き延びた」というのは大袈裟に聞こえるかも知れませんが、僕にとっては本当にそういう実感があります。

そんな時が始まってから4年半。
僕個人のことを考えれば、確実に変わったように思います。でも何が変わったのだろうか。みんな確実に変わったはずです。でも4年半が過ぎ、以前のような社会が戻ってきているようにも見える。でもやはり違う。違う、と感じるのは自分自身が以前と同じような世の中を求めていないからなのかも知れません。確かに僕らはあのコロナの瞬間、大きなダメージを受けました。自分たちの道が全て閉ざされたように感じた時もありました。音楽とは何なのだろう。音楽は必要なのだろうか。社会って何なのだろう。国って何なのだろう。生きるというは結局どういうことなのか。高校生くらいの時に青臭く考えるような大きな主語の様々なテーマが、とても重要で深淵で根本的なテーマとして自分の前に突きつけられました。いくつもいくつも突きつけられました。それに答えてみろ、と問いかけられているような気がしました。それまでの自分の人生で大切だと思っていたものは、あるものは削ぎ落とされ、あるものは残りました。この4年半は自分の人生の中でも一番吸収し、一番勉強し、一番考えた時期だったかも知れません。そうした意味ではこの4年半で僕は大きく変わりました。ですが表面的には僕は昔と変わらない生活や日常も送っています。何が変わったのだろう?よくわからないのだけど確実に変わっています。

歴史というのはずっと動き続けていて、結局世界が何も動いていない時期などないのだと思います。ですがそれでも、この4年半は世界は大きく変わった、と言いたくなります。その世界の変化にも地球の変化にも僕らは逐一影響を受け、木の葉のように翻弄されているだけなのかも知れません。それでも木の葉は木の葉なりに色を変えながらどこかに飛んでいき、どこかにたどり着くのでしょう。

音楽は世界を変えるのか?
高校生の頃、真剣に考えました。変えられるんだ!と思った後、変えられないと絶望し、やがて問いの間違いに気づきました。
問いは、音楽は人を変えるのか?だったのです。
音楽は人を変えます。
人が変われば世界が変わります。それは本当なのか?
本当でした。コロナ禍の世界では人が変わり世界が変わりました。時に恐ろしいほどあっさりと。簡単に。
この4年半の間、僕にとってのたくさんの根源的な問いが何度も何度も繰り返され、何度も何度も答えてきました。それに答え考えるたびに自分は何かを捨てたり更新したり確かめたりしてきました。その記録のようなものはずっと自分の内側に蓄積されたままでした。それが今回の渡米を機に蓋が開いたように感じます。こうして文章を書くのも考えたいからであり、その蓄積された思いを形にしたいからであり、極めて個人的な事情です。
僕らは何が変わったのだろうか。
その答えはとても多面的でいくらでも出てきそうです。
今まさに時間が再び動き出したような感覚があるのです。
このテーマでしばらく乱文を書き続けるかも知れません。

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