しさく/むしのいき
むしのいき ゆずりはすみれ
さっき エレベーターで
鉢合わせした気がした
気配は すぐに
見えなくなったが
部屋のドアを開けるとき
微かに 鳴った
耳元の こえを
聞き逃す
生きているとからだが腐る
やわらかいにくを跳ね上げる
ほねはしなやかに太く かたいのに
受け持つからだはこんなにも やわく
はやく 腐る
だから
お線香を絶やさないようにしなければいけない
旅立つことを ゆるしたとき
あのひとのからだは ゆるんで
もう 動かなくなった
その瞬間には すでに
ふはいは進んでいて
残されたわれわれだけが
ゆるしていない
同じように このからだも
腐り始めていることを
さいごに 言った
こえを 思い出せない
口元で 微かに 鳴った
あのこえを 思い出せないのは
細かったからじゃない
掠れていたからではない
きっと
わたしも同じように 腐っていることを
わたしが
ゆるしていなかったからだ
ドアを閉めたとき
こえは 砕けて
向こうに 消えた
気配は すぐに忘れた
そこにあったけれど (見えないから
もう ない ので (どこにあっても
振り向くと むっと
匂いがする
強烈に 濃く
だれもいない部屋に
ひとり
だから 絶やさないようにしなければいけない
わたしが わたしを ゆるすまで
窓を開けると ゆらり
カーテンから黒い影
ふらついて 伸び上がり
天井に消えた
あとを追って
見上げた とき
微かに聞こえた
それが吐息だったかこえだったか
分からないまま 見詰めている
(点描と稜線主催『オンライン詩の合評会「点描を持ち寄る」』(2020年8月1日)にて提出)