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『葬送のフリーレン』と『キーリ』──長命の種族と人間が交差する物語の魅力

『葬送のフリーレン』のアニメを観た時、私が真っ先に思い出したのは、電撃文庫から出版されている壁井ユカコさんの『キーリ』でした。

どちらの作品も、長命な存在と人間が交わることで生まれる切なさや温かさを描いている点で共通しているのですが、そんな物語に惹かれる自分の原点が『キーリ』だったんだなぁと改めて気づかされた感じがしたんです。

ファンタジー作品には、長命の種族と人間の関係をテーマにしたものが少なくありません。

長く生きるがゆえに孤独を抱える存在と、限られた時間を懸命に生きる人間。両者が出会い、関わり合うことで、長命の者は人間の持つ感情や価値観を知り、逆に人間は長命の者との関係を通じて自分の生き方を見つめ直す。

こうした構造は、多くの名作で用いられてきたテーマではありますが、『葬送のフリーレン』と『キーリ』は、それぞれに魅力的なアプローチで描いている作品なのではないかと思うのです。


『葬送のフリーレン』──”死者との記憶”を辿る旅

『葬送のフリーレン』の主人公フリーレンは、千年以上を生きるエルフの魔法使い。

彼女は、人間の勇者ヒンメルたちとともに魔王を討伐したものの、旅の終わりに仲間たちと別れ、再び気ままな生活へと戻っていきます。

しかし数十年後、老いたヒンメルの死に直面したとき、フリーレンは初めて”人間の時間の流れ”を意識することになります。

それまで彼女にとって、人の生はあまりに短く、儚いものであり、自分の長い長い人生の中では"ほんの一瞬すれ違うだけの存在"だったため、深く考えたこともありませんでした。

ですが、ヒンメルが自分に向けていた想いに気づいたとき、彼女の心に後悔が生まれるのです。

この物語の核心は、“過去を振り返ることで人間を知る”ことにあるのだと思います。

フリーレンは、ヒンメルの死をきっかけに、かつての仲間たちとの思い出を辿る旅に出ることになるのですが、彼女の旅は、新たな冒険ではなく、“既に終わってしまった時間”を振り返るもの。

けれどその旅を通じて、彼女が過去に見過ごしていた人間の想いを知り、自分がどれほど多くのものを受け取っていたのかを理解していく姿が描かれています。

そんなフリーレンの旅には、長命種ならではの視点が色濃く反映されています。

人間にとっての数十年は、エルフの彼女にとってはほんの一瞬。

ですがその"一瞬"の中に、人間は全力で生き、かけがえのない関係を築いている。そのことに気づいていく過程が、静かでありながらも深い感動を生み出しているのかなと思うのです。

本作には昨今ファンタジー(特に異世界転生もの)でよくある無理なハーレム要素やチート能力をはじめとしたご都合主義的な展開がないのも魅力ですね。

登場キャラクターはそれぞれ独自の個性とドラマを持っていて、特に、フリーレンの弟子となるフェルンや戦士シュタルクとの関係性は、淡々としながらも確かな絆を感じさせる描かれ方がされている点がとても良いなぁと感じました。

こうした丁寧な人間関係の描写もまた、“人との関わり”をテーマとする本作の大きな魅力の1つだと言えるんじゃないでしょうか。

『キーリ』──”生者と死者が寄り添う”旅

一方、『キーリ』のハーヴェイもまた、長命という孤独を抱えた存在。

彼は〈不死人〉と呼ばれる、戦争のために作られた死ぬことのできない兵士であり、普通の人間よりはるかに長く生き続けています。

そんな彼と、霊が見える少女キーリの旅は、一見すると『葬送のフリーレン』のフリーレンとフェルンの関係にも似ているかもしれません。

どちらも、長命な存在が人間とともに旅をし、その過程で「人と共に生きること」の意味を見出していく物語だからです。

ただ、『キーリ』は『葬送のフリーレン』とは異なり、“死者と生者の関係”に重点が置かれているように思います。

キーリは亡霊たちの声を聞くことができる少女であり、彼女は旅の中で数多くの死者と出会い、彼らの想いを聞いてきます。

死者たちは、未練や後悔を抱えており、キーリはその声を拾いながら、彼らに寄り添おうとするのです。その姿勢は、フリーレンがヒンメルの記憶を辿る旅とどこか似ているかもしれませんね。

ただ、両者が大きく異なるのは、ハーヴェイの立ち位置でしょう。

フリーレンは長命種であるがゆえに、人間との時間の違いを実感していきますが、ハーヴェイは"死ねない"という呪いを背負った存在であり、人間と同じ時間を生きられないことに苦しみます。

元は人間であったのに、人間と同じ時間を生きられないからこそ、キーリと出会う前はラジオに憑依する幽霊である兵長と旅を続けていたのも、そうした苦しみに起因するところもあったのかもしれません。

フリーレンが"死んでいった者たちの想い"を学ぶ旅をしているのに対し、ハーヴェイはキーリとの出会いを通じて"生者とどう共に生きるか"を模索していきます。

この違いが、両作品の物語の軸を大きく分けているのかもしれません。

共通するテーマ──長命の種族と人間の関わりが生む物語

『葬送のフリーレン』と『キーリ』に共通しているのは、長命な存在が人間と関わることで、“時間”や”生の価値”を見出していくことなのではないかと感じています。

人間は短命であり、彼らはやがて老いて死んでいくけれど、その限られた時間の中で交わされた言葉や、共に過ごした記憶は、長命の存在にとっても決して消えることはありません。

フリーレンがヒンメルの想いを受け継ぎながら旅をするように、ハーヴェイもまた、キーリとの出会いを通して、兵長と共に過ごしながらも拭えなかった孤独をそのままに生きるのではなく"人と共に在る"ことを選んでいく。

私がこの二つの作品に強く惹かれるのは、まさにこの"時間の流れの違い"が生み出すドラマにあるのかもしれません。

人間の持つ儚さと、その中にある強さ。それを長命な者たちが理解し、受け入れていく過程には、言葉にしがたい感動があるのです。

『葬送のフリーレン』と『キーリ』は、それぞれ異なる形で長命の種族と人間の関係を描いていますが、どちらも"時の流れの中で、人は何を残せるのか"という問いを投げかけてきているようにも思います。

そしてそんな物語に心惹かれ続ける自分の原点は、やはり『キーリ』にあったのだと、今回改めて実感したわけですね。

願わくば、限られた時間を生きる人間と、それを静かに見守る長命の種族との関係が織りなす感動に触れられるような作品と、今後も出会っていけますように。

あと、もし叶うなら『キーリ』がアニメ化するのを見届けたいなぁ……。

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