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あり得ない日常#76
新しい何かを始めるのはいいが、それが本当に受け入れられるものなのかやってみるまでわからない。
しかし、日本人は職人気質なところがあって、始めて作ってみたはいいが、結局それをどうやって売っていくのか現実的ではないところがある。
良い意味では熱心だが、悪い意味では時間の無駄なのかもしれない。
とはいえ、それがたまたま多くの人達の要求や欲求に合致した時、想像もしていなかった素晴らしい結果を産み出すこともあるから、頭ごなしに否定は出来ないだろう。
由美さんは自身のウェブサイトを運営していて、特に時事や制度に関する記事を書いてきた人だ。
お父さんであるおじいさんが、いわゆる"安楽死"制度に携わってきた中で、身内だからこそ聞ける話を聞いてきた影響が大きいからだという。
それを子供として、ひとりの女性としての解釈を交えながら、独自の記事を書いてきた。
もちろん反応はわずかなものだ。
このまま続けて意味があるのかを考える日々を送ってきたと話す。
流れが変わったのは、とあるただただ遺された遺族が国を相手に起こした裁判がきっかけで社会的に注目が集まったことだ。
由美さんの活動は世間から無視されていたわけではなく、知られていなかっただけだった。
まさに、それまでの活動の実績と実力が実を結んだのだ。
全国の遺族とつながりを持つようになり、今では運営資金まで提供してくれる人まで現れたため、自分の役目、仕事として取り組んでいる。
個人として取り組むのはいいが、一人では限界を感じていた。
当事者の苦しみは同じ立場の人間にしか理解できないし、信じることも容易ではない。
由美さんは、母親である真実さんがそうであったように、遺族としては同じ立場にあるから、出来ることが多いのだ。
最近では、自分が赴くよりも近くの遺族を紹介したりして、コミュニティを作っているという。
そんな日々を送る中、レンタルオフィスで出会ったのが藤沢さんだった。
彼は、自分が所属する会社の設備を活用した新しい事業を探っていたが、なかなかこれといったものが無かった。
これを会社として取り組むことは出来ないかと言う藤沢さんは、どうやらすっかりやる気らしい。
しかし、これには社長が首を横に振った。
「個人としては尊敬する。
ただ申し訳ないが、自分の会社としてその活動は出来ない。」
わたしもそうだろうなとは思った。
政府が民主的に決めたことに意見する活動を、利益を追求するいち企業に過ぎない会社が業務としてやるべきではないだろう。
「もしやるなら非営利団体として、由美さんを代表として立ち上げた方が良いと思う。私ならそうするかな。」
社長が続ける。
「その上で寄付をしてくれないかと言う話なら、改めて考えるかもしれない。そこまで文句を言われる筋合いは無いからね。」
この言葉で今回の話の結論は出たようだ。
時間はそろそろ夕方、窓の外がやんわりと赤い光に包まれている。
「ごめんね、
今、妻が入院していて、そろそろ外してもいいかな。」
初耳だ。
そんな大変なことになっていたとは。
もちろん、そうしてくださいと一同直ちに解散となった。
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※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は架空であり、実在する人物や団体とは一切関係がありません。