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あり得ない日常#62
新人として駐在所勤務が日常だったが国会が決めた、いわゆる安楽死制度が始まって以来、この制度の窓口へ異動になった。
国民の安心安全を守る仕事、父親の背中を追いかけるようにして自分も同じ職に就いたはずだが、気づいたらまるで最期の番人のようだ。
当時は若かったこともあって何も考えていなかったが、しばらく携わってみてとんでもない場所へ来てしまったと気づいたことを覚えている。
なので、思うところが無いと言えば嘘になるだろう。
制度開始時は、簡単に国民が自ら命を手放すような制度を国が提供すべきではないと、明らかに躊躇うようにと拳銃を貸し出す形式だった。
制度は小学校の教科書にも、まずは名称と簡単な解説が掲載され、中学、高校と学年が進むごとにより具体的に広く教えるようになったのだ。
ただ、単に制度の解説をするだけではなく、自身の命の重さについて考える時間を設けるといった狙いもある。
というのも、中学生や高校生の自殺件数も多かったからだ。
いじめ、家庭不安、将来への絶望、理由や動機は様々だが、これらは何も子供たちだけに限ったことでは無いように思う。
大人は子供の間の事だからと軽く考えがちだが、子供にとってみれば毎日通う学校の中の世界は、現状世界のすべてであると考えなくてはならない。
大人は大人で仕事を干される事態を避けたい。家庭を持った日には、もうなんとか定年まで駆け抜けるしかない。
そうなることを仮に十代で悟ったとして、早めに手を打てる、あるいはあきらめて自ら身を投じる人間かどうかによるだろう。
さもなくば、他人とは違う人生を歩むしかない。
運よく成功して大勢の上を行けば、次は妬み嫉みの的になる。
だが当然に、失敗する人の数は圧倒的に多い。
自分が何を一番気にするかで世界は変わり得る。
もしかしたら死ぬのはいつでもできると思えるかもしれない。
親の顔を気にするのであれば、警察や役所にいる他人を頼る。
居場所を気にするのであれば、いっそのこと引っ越してみる。
出来ない事を気にするのであれば、出来ることを探す時間を作る。
他人といるのが苦手な人もいて、窓口に訪れる大半の人はそうだと思う。
もう自分がピエロになれるか、そうではないかだけだろう。
もちろん無理して他人といる必要はなく、どうしても無理なのであれば一人で居られる方法を見つけるほかない。
一旦そうしてみて、しばらくしてもしかしたら気が変わるかもしれない。
もちろん、変わらないかもしれない。
でも、それでいいはずだ。
何かと文句を言う人がいるとすれば、体裁を気にする身内か、自分への注目を如何に擦り付けようかと企む輩くらいだろう。
そんな自分の事しか考えていないような人間からは、いずれにしても早々に距離をとらないと下手をすれば命まで取られかねない。
もう少し生きてみようと、どうせいつでも、そして人間はいつか必ず死ぬのだからと少しだけ考えてみて欲しいなと願うばかりだ。
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※この物語はフィクションであり、実在する人物や団体とは一切関係がありません。架空の創作物語です。