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あり得ない日常#91
クリスマスという、海外宗教に由来するイベントは、かつて物が豊富にあった時代に比べ、今ではこの国でもその本来の趣旨を取り戻したかのように慎ましく行われているようだ。
子供にとっては、夢のあるイベントであって、絵本でもよく読み聞かせが今でもされているから信徒であるかどうかは別にして、朝起きるとプレゼントが枕元に置かれているのを楽しみにする文化は残っている。
農業だけではなく、工業や商業を支えた使いやすい低地、平野は海抜の低い場所から軒並み海に飲み込まれたこともあって、現代を生きる人間は世界的に物が不足する事態となっている。
まるで川岸でバーベキューを楽しんでいたら、知らず知らずのうちに川の水がみるみる増えてきて、いつの間にかすっかりすべて流されてしまったかのように。
20世紀後半から登場したようなあらゆる色とりどりのおもちゃやそれらの物は大半が姿を消し、まだ土地に余裕があって工場を持つ海外製の限られた数のおもちゃたちをWebを通じて入手できるかどうかだ。
出生率も相変わらず少ない日本では需要が少ないこともあって、国内産の物があっても高価だし、生産力のある外国から取り寄せるにしても通貨の弱さからどちらにしろ高い代金を支払う必要がある。
そのため、まだ幼いならともかく義務教育課程に入った子供には、Web上で遊べるゲームのギフトカードなんかをプレゼントする家庭が大半だ。
なぜかは言うまでもない。
タブレットなどのゲームを楽しめる端末を持っているなら、あとは電気代の問題だけであって、非常にコストパフォーマンスが良いからだ。
その分、夢を犠牲にするが贅沢は言えない。
そんなわけで、社長の子供たち二人には何をプレゼントしようかと悩んでいるが、あまり嵩張るものや目立つものを咲那さんを差し置いてプレゼントするのもどうかという悩みを毎年思い出すのだ。
結局、プレゼントと言わずに形のあるものを避けて、社長の子供たちとおしゃべりをしながら、唐揚げを作ったり、まだ上手には出来ないけどホールケーキを一緒に作ったりして、お茶を濁している。
今年は咲那さんの姿はない。
数日前から意識を失っていて、静かに眠り続けている。
何かあればすぐに病院から連絡が飛んでくるはずだから、気をつけてはいるが、そんな緊張感をまだ深く理解できない子供たちの無邪気さとの狭間ですっかり咲那さんの代役をこなせているようではある。
ちなみに社長がそろそろ帰宅する時間だが、この寒さだ。
シチューが良いだろう。
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※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。