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あり得ない日常#90

 社長の奥さんである咲那さなさんは、社長が一人で今の商売を始める少し前に、友人の紹介で出会ってから連れ添ってきた。

 娘さんも欲しかったらしいが、男の子二人に恵まれて今では中等、初等の教育を受けるまでに成長している。

 あの社内の事件がきっかけで初めて出会ってから数年経つが、子供の成長は実に解りやすく時間の重みを思い知らせてくれる存在だと思う。

 まだ出会った時の小さいままなら、実の母親が病気で亡くなり、父親の会社の若い女が新しいママになるよと言ったところで、わかった!と無邪気に答えてくれるだけで済むかもしれない。

 咲那さんには出来るだけその命を永らえていてもらいたい。

 でなければ、さすがに今のわたしではその複雑な問題に向き合えるだけのプレッシャーを乗り越えるだけの胆力を持ち合わせていない。

 こう自問自答しながらも、刻一刻とその時はやってくる。

 そもそも社長本人からそんな話をされたことなんて一度もないし、咲那さんの勘違いということも十分ありうるわけだ。


 いずれにしてもこうなると、やっぱり社長を意識してしまう。

 困ったぞ。


 自室で目が覚めると、自分の今置かれている状況にどう立ち振る舞ったらいいのか嫌でも頭の中をよぎる。

 そのたびに布団に丸まって悶えるしかなかった。

 あ、でもそろそろ買い出しをしておかないとあの子たちの食べるものが無くなってしまう。

 今日は何を作ろうか。

 病室で咲那さんとあの話をして以来、社長の自宅で朝を待つのを意識して避けるようになってしまった。

「お姉ちゃん今日は帰るの?」

 うん、ちょっと家でやることが最近多いからね。なんてやりとりを最近しょっちゅうやっているから、そろそろパターンが尽きてきたし、でも行かないわけにもいかない。

 あの子たちの生活は今、わたしにかかっているのだから。

 お金に困っているわけではない。社長の稼ぎもあれば、あの子たちそれぞれに振り込まれるベーシックインカムだってある。

 その気になれば子供たちだけで生活することだってできる。

 しかし、しかし、わたしは咲那さんから託されている。

 わたしを必要としてくれる人がいるのだから。


 そんなよくわからん葛藤をひとしきりした後、いつものスーツ姿に着替えて家を出るのだ。

 何か安いものがあるかな。
スーパーに寄っていくことにしよう。



※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。

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