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あり得ない日常#68
シェルターで3日間過ごすと、元の生活環境には戻りたくなくなる。
地中にあるこの空間は外気の影響を受けにくく、地熱の温かさもあって実に過ごしやすい。
それだけではなく、かつての文明が残してくれたものなだけあって、人間の生活環境に対する配慮が行き届いている。
蛇口をひねればきれいな水が出るし、温度調節まで可能。トイレも臭いや周囲を気にすることなく清潔に済ませることが可能。
こんな場所は今やこのシェルターくらいしか存在しないだろう。
書物では、海の底に沈んだと思われる地平線まで続くような広い平地があって、人々は思い思いに好きな家を建てて住んでいたらしい。
そうできたということは、それぞれの家にこのシェルターのようなインフラが行き届いていることが前提の世界だったということだろう。
とても信じられない事だ。
なるほど、そう活発に資源が人間社会に利用されていたと考えると、今空気に、地中に舞い続ける細かいプラスチックの粒子がとんでもなく膨大なのも納得がいく。
集められた資料に夢中になっていると、あっという間に滞在期間を満たしてしまうのだった。
「あ、いたいた」
やっぱりといった顔で声をかけてきたのはユカだ。
「好きだねえ。」
まあな。
「明日出発だね。早かったなあ。」
もうちょっと居たいよな。
「しょうがないよね、次の人達も待ってるから。」
また元の生活に戻るのはなんか気が重いよな。
「ねえ。」
なんとか滞在期間を延ばす術はないものかと、小さい頃なんかはよく駄々こねておじさんたちを困らせたっけ。
「はは、そんなこともあったねえ。」
さすがにやらないだけで今でもそんな気持ち、ちょっとはあるよなあ。
「わかる」
二人してしばらく沈黙が続く。
遠くからの反響音が、大きな空間に人々が賑やかに、ここだけは寂しさなどとは無縁の世界だと思わせてくれる。
「ね、見てよ。北の人達が編んだんだって、かわいいでしょ。」
おお、織物か。いいじゃん。
繊維を集めて編み込んだ布のようだが少し厚い。
ふわっとしていてどうやら動物の毛のようだ。
毛の色も特徴があって、模様のように活かされている。
これは見た目だけではなく、温かくてシェルターを出た後の生活で重宝しそうだ。
どうしたの?と聞くと、ふふんと得意げに笑う。
「贈り物だってさ、わたしに。」
へえ、誰からだろう。
「わたしも大人のレディですからねえ。」
そうなんだ。
「なによー」
肩をぺしぺし叩かれ、痛い痛い、なるほどその力は確かに子供じゃ出せないよななんてからかう。
「そういえば、何読んでたの?」
昔の人達がそれぞれ家を建ててたって資料があってさ。
「へええ、どんなんだったんだろうね。」
人間にとってずいぶん住みやすい環境だったみたいだね。
「…そっか。」
見る?
「んー。いいや。」
なんとも言えない、ちょっとした間が空く。
「そうだ、明日出発だから使ったところを掃除しとかなきゃね。」
思い出したかのようにくるりと部屋に向かうユカの背中は、なんだか怒っているように見えた気がした。
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※この物語はフィクションです。実在する人物や団体とは一切関係がありません。架空の創作物語です。