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あり得ない日常#94

 慣れたものだ。

 暖房の効いた車内、少し熱めの風をふくらはぎで感じていると、時間が経つうちに外の寒さを忘れるくらいには居心地が良くなる。

 この朝早い時間だから、お客さんもまばらだから余計によい。

 昔だったら通勤だ通学だと、決まった時間に遅れないようにそれはもうたくさんの人たちがこの狭い空間で自分の居場所を確保するのに余念がなかったはずだ。

 果たして、居場所を確保するという広い意味においては、何も通勤電車の車内に限った話ではなかっただろう。

 家庭内の居場所に難儀したおとうさん方もさぞ多かったはず。

 今、冷静に考えれば、実におかしな話である。


 きっかけは様々だがひとつの例をとってみると、某西洋宗教の考え方をもろに取り入れることになった我が国は重婚を禁止されてからというもの、浮気はともかく不倫という"大罪"はまるで首を取られたかのよう、格好の非難の的となった。

 これは性別問わず絶対にあってはならないものであって、ではなぜそれがいけないのかを考え、真に追及する人間はいなくなってしまったのである。

 かつて、若気の至りでそんな「過ち」を犯してしまったおとうさん方は、何らかの形で配偶者の方に許されるまで償うことになるわけだ。

 さて、そんな哀れな世のおとうさま方がどのくらいこの車内に詰めていただろうかと妄想すると、若干のいたたまれなさを感じる。

 何せ、こんな街の中心地から離れた場所から通う人たちともなると、無理して買ったマイホームのローンをたんまりと抱え、別れるに別れられないと後の悲劇、熟年離婚への道を歩み続けている事に気づくはずもない。

 あるいは、もはや考えるのも嫌になっていて現実逃避を決め込んでいる方々もそれはそれは多かったことだろう。


 自分の身体も年齢と共に良くも悪くも一刻一刻と変化していくように、社会もよほどのことがない限り変化をする。

 今は当たり前のものが昔は無かったように。

 自分が今浸かっている水はぬるま湯なのか、心地のいいお湯なのか、気づいたら熱湯になるかもしれない、そうなったらそうなったで諦めるしかないと、つまりはもう生き抜く気力というものを失っているのかもしれない。


 まさに衰退である。


 信じていたのに裏切られた。

 当初はそんな大したことがないと思っていたのに、こんなことになるなんて思ってもみなかった。

 そんな声が国中で蔓延する中、ようやっとこの現代まで来たのだ。


 信じるものを間違えながら、間違えた人間は容赦なく淘汰されながら、しかしそんなことはお構いなしに今日も山間やまあいから朝日が昇る。


 慣れたものだ。


※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。


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