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あり得ない日常#87

 遺書かあ。こうやってさらってると、見て欲しいけどそうじゃないみたいなものがいっぱい出て来るね。

 しばらく使われなくなった領域を直接確認するのも大事な仕事だ。

 人工知能があるとはいえ、所詮はまだ人の手で直接産み出し稼働させ続けているものの延長に過ぎないから、感情の分野にまで踏み込めてはいない。

 すなわち、何か事件性のあるものや不自然なものが存在していないかは見つけ次第簡単にチェックしなければならないようになっている。

 簡単に言うと、うっかり何かの証拠を消してしまわないようにしている。


 とはいえ、警察や検察の捜査や、果ては裁判所の差し押さえがあったものなんかは、通信元や経路の符号を便りにごっそりと抜かれているから、わたしたちみたいな素人がうっかり消したところでさして問題は無い。

「電話から始まった通信技術の先に、ブログからマーケットプレイスまで個人単位で幅広くカバーできる空間が出現するなんて、昔のおそらくほとんどの人は予想していなかっただろうねえ。」


 なぜ、こんな記憶領域を扱う産業がひっそりと、しかし重要なインフラとして鎮座しているかといえば、おじいさんが携わっていた"安楽死"制度の裏、人々の裏の感情をインターネットという開かれていて閉じてもいる空間がたっぷり吸収しているからである。

 昼間の顔とそれ以外の時間の顔が違う人がいるように、表向きのアカウントと裏向きのアカウントといった具合に、まるで人が違う、およそ同一人物とは思えない酷くかけ離れたものを対で観察ができる。

 これが通信インフラとしての記憶領域を支える裏方の仕事の特徴だろう。


 街を散歩していても

 電車に乗っていても

 公園から聞こえる子供たちの声を聴いていても

 皆、人間は裏の顔を持っていると思わない時間など無い。


 書かれていることは本当に正しいのか、間違っているのか。

 真実を周囲に信用してもらえない、巧妙に作られたシナリオが事実として広まってしまったと嘆くものもあった。

 逃げ場所を失ったであろうその人物は、ひたすら世の中を恨むと最期まで自身のブログを埋め尽くしてどこかへ消えてしまったらしい。


 そんなものを見るのはもう慣れてしまったのか、右親指で端末の画面をスクロールすると、削除しますか?の問いに「はい」と応える。

 なぜかは簡単で、日付が10年を超えているからだ。


 何か個人の名前や状況が含まれているのであれば、もう少し保存しておく必要はあるかもしれない。

 しかし、人工知能が処理を保留したものの中でも、最も中身の無い感情がぶち込まれたものだから何の問題も無いだろう。


 そういう世界だ。


※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。

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