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【論文紹介】遊び心、遊び、そして遊戯的現象の進化と性淘汰の関連性
【まえがき】 "人間は遊ぶ存在である" - ホイジンガ
”わたしたち人間は「ホモ・サピエンス(賢い人)」よりも「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」と称するのがふさわしい”と主張したのは、オランダの歴史家ホイジンガだ。
われわれ人間は、理性を信奉していたある世紀がとかく思いこみがちだったほど理性的であるとは、とうてい言えないことが明らかになったとき、われわれの種族である人類の名称として「ホモ・サピエンス」と並べて、作る人すなわち「ホモ・ファベル」という呼び名が持ち出された。しかしこれは、前者よりもさらに不適切なものであった。ものを作る動物も少なくないからである。作るについて言いうることは、また遊ぶということについても同じであって、じつに多くの遊ぶ動物がいる。それにもかかわらず私は、「ホモ・ルーデンス」すなわち遊ぶ人という言葉も、ものを作る機能とまったく同じような、ある本質的な機能を示した言葉であり、「ホモ・ファベル」と並んで一つの位置を占めるに値するものである、と考える。
ホイジンガは自著『ホモ・ルーデンス』において膨大な学際的知識を駆使し、綿密かつ大胆に「人間は遊ぶ存在である」ことを論証している。
また、哲学者ニーチェは遊びを哲学における最上の方式だとみなした。
もろもろの偉大な課題に対処するのに、私は遊戯よりほかの仕方を知らない。遊戯こそは偉大な印として、或る本質的な前提である。
ホイジンガやニーチェのような遊びの捉え方は、おそらく大半の人にとって自身の日常的理解とかけ離れているだろうと思う。
一方で、私は彼らの考えに同意するとともに、現代にこそ「遊び」の概念を捉え直すことが必須だと主張したい。
現代は、大人がゲーム等をすることが当たり前になった時代であるとともに、個人的な問題から戦争や気候変動などの世界の諸問題まで、直視し難い現実から一時的に逃避する手段にあふれた時代でもある。遊びはその一手段に成り下がっている。
遊びは子供だけの領分ではない。娯楽や現実逃避の手段にすぎないのでもない。遊びは、愛や知性などと並ぶ人間の一本質であり、遊びを生活の全領域に取り入れることで、あらゆる他者は潜在的な遊び相手となり、厳しい現実はプレイグラウンド(シェイクスピアは「この世は舞台」と言った。)となり、軽快かつ想像的・創造的に舞い生きることが可能になる。
ただ、この遊びの本性性・可能性を、他者に納得してもらうことは容易ではなく、言葉だけによってなそうとすれば尚更であることは重々承知だ。
ゆえに私は、遊びに関する想像力を刺激するような興味深い内容の記事を書き重ねることで、読者に遊びの再定義を促していこうと思っている。強制や暴力を否定し、ワクワクやドキドキのなかで理解を深めてもらうのも遊び的だと言えよう。
第一回となる本記事では、遊びと進化論(特に性淘汰)の関連性についての論文を紹介する。
遊ぶ生き物は、人間だけではない。チンパンジーなどの類人猿、犬や猫などの哺乳類が戯れる様子をみたことある人は多いだろう。さらに、一部の鳥や魚・カメにもそのような姿がみられる。動物たちは、人間の幼児のように無邪気に戯れている。
遊ぶ能力は自然界における生存には一見役立たなさそうだが、なぜ失われずに発達したのか?なぜわたしたち人類があらゆる種の中でもっとも複雑に遊ぶことができるのか?
遊び心、遊び、そして遊戯的現象の進化と性淘汰の関連性
今回紹介する論文のタイトルは、『The Evolution of Playfulness, Play and Play-Like Phenomena in Relation to Sexual Selection(遊び心、遊び、そして遊戯的現象の進化と性淘汰の関連性)』(Yago Luksevicius Moraes, Jaroslava Varella Valentova and Marco Antonio Correa Varella, 2022年)。著者らはブラジルのサンパウロ大学に所属し、実験心理学を専門としている。
本論文は以下のような構成になっている。
・要旨(アブストラクト)
↓
・序論(イントロダクション)
↓
・本論
1. 遊び心、遊びとゲームの定義と概念的区別
2. 遊びとゲームは進化した性向から生じたものである
3. 自然淘汰と性淘汰の結果としての遊び
↓
・考察&結論(ディスカッション)
以下に記すのは、各項目をまとめたものである。上述のとおり本論文は文献研究に形式をとっており、参考文献の数は108報に及ぶ。以下のほとんどすべての文に対して参考文献が1つはあると言っても過言ではないため、興味がある方はそちらもご覧いただければと思う。
要旨
本論文をおおまかに理解してもらうために、要旨を引用する。
(以下、断りがない限り、引用元は既述の論文(上記リンク先)であり、英語の訳は引用者による。正確を期せるよう努めて訳したが、論文を深く理解したい方には原文を読むことを推奨する。)
性淘汰の概念化によって、ダーウィン(1809年 - 1882年)は進化の観点から種内個体差を分析する方法を示した。興味深いことに、性淘汰はスポーツ、アート、ユーモア、宗教など、いくらかの言語においては単に「遊び(play)」とよばれる現象の起源を調査するためによく用いられる。これらの現象は、明白な違いがあるにもかかわらず、遊び心(palyfulness)をはじめとする共通の心理的プロセスに依存している。さらに、これらの行動には通常、性差を含む種内変異が顕著にあり、交尾の成功にも正の相関がある。しかし、遊びの研究において性淘汰が適用されることはほとんどなく、例外的に、大人の性役割のための幼児の訓練行動として扱われることがあるくらいだ。私たちは性淘汰に基づく進化論的命題に沿って遊び現象の統合的な基礎づけを提供し、進化の視点における遊びあるいは遊び心のさらなる探求を促進できるかもしれない。
本論文は、性淘汰によって遊びの進化的側面への理解がどのように促進されるかを、文献研究の形式で探究するものである。
イントロダクションに進むまえに、性淘汰の意味と解説を引用する。
性淘汰 -(読み)せいとうた -(英語表記)sexual selection
雌雄淘汰,雌雄選択ともいう。異性にとって魅力的であるために進化したと考えられる形質の淘汰の現象。例としては雄クジャクの尾羽,ライオンのたてがみ,シカの角などがある。 C.ダーウィンが初めて提唱した説である。現在では,雄での形質発現について性ホルモンの影響なども明らかとなり,動物行動学的な研究も進んで,この考えの裏づけとなっているが,形質が極端になって一般的な生活にかえって不利になっている場合などをどう考えるか,問題が残っている。
イントロダクションのまとめ
ダーウィンが性淘汰説を提唱したことで、自然淘汰では説明することができない身体的・行動心理学的な特徴の個体差──生存に直接関係しない贅沢でコストのかかる解剖学的/生理学的、心理社会的行動特徴、種間の性差、思春期前後の発生学的差異、種内個体差、近縁種内の急速な分岐など──を進化の観点から理解できるようになった。また、このアプローチは、進化における謎とされる多くの人間的特徴──遊び、ユーモア、スポーツ、アート、宗教──の解明にも用いられている。
遊びと遊び心、遊びに似た現象のいくつかを区別することの利点を主張し、これらが性淘汰とどのように関係しうるか示唆する。さらには、遊び心に向かう心理的傾向の進化的性質を示す収束性のある証拠を挙げ、遊びとゲームの区別に焦点をあてる。
本論1. 遊び心、遊びとゲームの定義と概念的区別
"play(遊び)"は行動的・心理的性質を意味したり、遊び心ある活動を指したりする。例えば、歴史家のホイジンガと社会学者カイヨワは、遊び(あるいはゲーム)の研究対象には、音楽、演劇(ロールプレイング)、くじ、哲学、宗教、ジェットコースター、飲酒などが含まれるべきだと主張した。
また、遊びという概念の定義・表現は、言語によって異なりがある。
チェコ語、フランス語、ドイツ語などは、「楽しく、面白く、自己目的的なこと」に適用される一般的な概念を表す言葉しかない。一方、英語、日本語、ポルトガル語などは、遊びの性質ごとに異なる言葉を用いている。
言語間の差を超えた遊びの定義をするために、進化心理学の二つの視点を用いる。
(1)人間の精神には多くの進化的・心理的特質があるという考え
(2)各クラスの行動を実行するために採用される、基礎となる心理的能力群への着目
行動的次元とその根底にある心理的次元との区別と、二つの次元が1対1対応していないことが重要だ。各クラスの行動には多くの心理的能力が寄与しているかもしれないが、そこにはそれぞれ進化した中核的能力や能力群があるのかもしれない。
遊び心(Playfulness)を、遊ぶという行動のために進化した中核的能力とすると、遊び心には以下のような特性があるとされる。
純粋な楽しみ、熱中度、満足感を高めるために想像的で非真面目な、比喩的な方法で活動を定義(または再定義)する傾向
自分自身や他者に娯楽やユーモア、エンターテインメントを提供するような方法で状況をフレーミング(枠付け)、リフレーミングする素因
娯楽や楽しみを目的とした活動を、即興的かつ熱中して追求する傾向
日常的な状況を、楽しく知的刺激のある、個人的に興味深い経験としてフレーミング・リフレーミングすることを可能にする個人差変数
遊び心に最も関連づけられる単語は、遊び(play)とゲーム(geme)である。表1、2は、遊びとゲームを定義するために文献上で用いられている特徴を概観したものである。
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表1より、遊びは通常、次のようなものが付随して生じる行動であると定義する。
内発的動機(自発性、自己目的性、楽しみ)
肯定的感情(楽しい、幸せ、嬉しい)
ストレス要因の欠如(リラックス・ワールド= "relaxed field", プレイ・ワールド= "play world", マジック・サークル= "magic circle"などと表現される)
また、人間の遊びを研究している人たちは遊びを「想像力豊かなもの」と定義し、人間以外の生物を研究している人らは「機能的でないような行動の変容」だと主張している。
一方、ゲームの定義は、構造化された規則に焦点をあてている。
対立、争い、競争
勝敗が決する
結果が定量化可能で、重要性や価値をもつ
したがって、ある行動が「遊び」とみなされるのは、それによって遊びの精神状態を生み出す「遊び心」が活性化されるときである。また、ゲームは定義の上では遊び心を必要としないが、ルールと価値ある結果が競争を面白いくし、うまくいけば楽しいものに変える。それゆえに遊び心は楽しくない真面目な活動のなかでも生じると言える。ゲームにおける遊び心は、遊びのしれとは質的に異なるかもしれないが、どちらも遊びに満ちたものであるのは違いない。
遊び心は以下に挙げるような、ゲーム以外の概念(または活動)と組み合わさることができる。
学び(発達訓練)
力や原動力(占い、神の摂理、動機づけ・必要性)
一種の優越(競争や技能のゲーム)
集団の一体性と帰属性(祭祀や文化活動)
想像力と創造性(芸術、空想)
自己表現と個性化(趣味やレクリエーション)
既存の体制や秩序の転覆(ジョークや皮肉)
遊び心と身体活動(=休息よりエネルギー消費が優る自発的な運動)の傾向が組み合わさることで、遊びとして知られる行動類型が生まれるのかもしれない。
また芸術性、すなわち「並外れた装飾・美的改良に対する自己没入的愉悦能力」も、人間の精神における進化的特質である。身体活動の傾向と芸術性の組み合わせによって、さまざまな芸術様式が生まれる。
行動には複数の心理的要素が含まれていることを認識することで、行動分類に重複があるケースや、なぜ多くの文化が「遊び」を用いるのかをよりよく理解することができる。
複数の心理的不変要素を組み合わせることで、幅広い行動多様性と行動分類の重複を観察することができる。
遊び心 + 言語 → 言葉遊び、ジョーク、有名人の声真似、クロスワードなどの言葉ゲーム
芸術性 + 言語・物語 → 詩や文学
芸術性 + 遊び心 → カラフルなドミノアート、ピクショナリー(絵からお題をあてるゲーム)
儀式化された競争・協力 + 規範性 + 自己克服 + 遊び心 → ほとんどのスポーツゲーム、盤上遊戯
儀式化された競争・協力 + 規範性 + 自己克服 + 遊び心 → 新体操、フィギュアスケート、シンクロナイズドスイミング、ダンスコンテスト、ラップバトル
ほとんどの人が本格的なプロのスポーツ選手やゲーマー、芸術家ではないが、余暇や趣味として先に挙げたような活動をしていることを考えれば、大人になってからも遊び心が活用されていることは明らかである。
本論2. 遊びやゲームは進化的傾向に由来する。
遊びに対する心理的傾向は、進化した適応の多くの基準を示している。
この心理的傾向はすべての人間文化に存在し、哺乳類に典型的であることから、遊びはすくなくとも最初の哺乳類(三畳紀後期、約2億3700万年前から2億130万年)と同じくらい古くから存在していたことが示唆されるが、魚類やカメ類、タコ類、比較的最近発生した鳥類においても独自に進化した可能性がある。
遊戯的現象(遊びの諸定義と一致する人間の活動、または他の生物に見られる類似的活動)には、文化的価値がある。また遊びには多くのコストが必要でありながら、個体発生上の非常に早い段階で観察可能であり、身体的、認知的、社会的利益をもたらす。
ゲームをするのは人間だけだと考えられているが、それはおそらく、私たち人間は通常、口頭や文字などのを明示的な方法でルールを示し、同意しているからだろう。
動物の中にも、非暴力的で儀式化された、「ゲーム」と呼べるような争いを互いの合意のもとでおこなう種がいる。動物にみられる一見暴力的な遊びにも、相手を傷つけないように自分の力をコントロールしたり、霊長類にみられる「遊び顔(play face)」のように「これは遊びだ」というシグナルを送ったり、役割交代するといった、いくつかの認識可能なルールがある。ゲームは遅くとも5,6000年前から存在するが、実際はより普遍的で、さらにずっと昔から存在していたのかもしれない。
人類学者は、芸術品や祭具だとこれまで考えられていた考古学的遺物が、わたしたちにとって未知のゲームに使われていたかもしれないと主張している。
ゲームには文化的価値があり、身体的、認知的、社会的利益と関連している。ゲームには特定の精神状態や、自己ハンディキャップを要するルールのためにコストがかかる。ゲームは遊びよりも発達が遅く、個人差がより顕著になる。
本論3. 自然淘汰・性淘汰の結果としての遊び
自然淘汰や性淘汰のような進化のメカニズムによって様々な遊戯的現象(ludic phenomena)が説明できる。
遊び行動は一般に自然淘汰の結果、つまり遊びが存在しなければ危険な状況を要する習得の難しい技術を訓練するための方法とみなされる。
同様に、性淘汰は芸術、スポーツ、個体差特性としての遊び心の進化的機能を説明するために用いられる。遊びに要するコストは、遊びが健康の信頼できるシグナルになりうることを示唆するゆえに、このシグナルは成人期にも一般化できるかもしれない。遊びのシグナル理論は、遊び心ある態度が健康状態を示すだけでなく、男性では非攻撃性、女性では若々しさなど、繁殖に望ましい他の特性も示すと仮定している。
対照的に、スポーツの起源についての理論は、一般的に身体的技術による遊戯的競争として理解されており、スポーツ・プレイでは交尾相手を魅了したり(異性間競争)、連合・集団内の味方や地位や資源を引き付ける(同性間競争)ために、戦いや狩猟の技術を表現されると仮定している。
Deanerら(2016)とMoraesら(2021)の研究は、遊び心と男女の交際経験の関係を明らかにした。
男性では、他者志向的な遊び心が長期的・短期的なパートナーの数の多さにに対して統計的に有意であり、
女性では、気まぐれな遊び心が短期交際の数に対して有意であった
したがって、遊び心がある大人の方がより多くの交際経験をもつため、遊び心が両性において性淘汰されている可能性がある。
性淘汰は大人による遊び・ゲームが人間だけのものであるような理由や、文化的な性差がある理由を説明できるかもしれない。
性淘汰が形成する特徴は、コストが高くつく傾向にあり、時には生存の可能性さえ低下させ、同種内でも変動が大きく、しばしば雌雄の一方のみに、あるいは思春期以降に発達し、種に特有なものになる。
性淘汰は異性間淘汰と同性間淘汰の2つに大別でき、前者では異性個体を選択する、あるいは異性個体に伴侶として選ばれるように適応し、後者では同性個体を威嚇し、打ち負かせるように適応する。
より遊び好きの個体は交尾相手として好まれるとともに、遊び心は体力と関係満足度にも正の相関があり、そのような個体は同系交配の対象となることから、遺伝性を説明することができる。
加えて、スポーツゲームのプレイヤーは性的パートナーをより多く持つ。しかし、スポーツ以外のゲームへの一般化可能性に関する研究はほとんどない。
自然淘汰と異性間淘汰のいずれもが単独でゲームの進化に関与しているのでないならば、同性間淘汰が何らかの役割を果たしているかもしれない。
したがって、ゲームは、地位や連合集団内の味方のような、体力増大に間接的に影響するような資源を競い合う方法なのかもしれない。
重要なことは、これらの淘汰圧が異なる程度で同時に作用する可能性があることだ。
De BlockとDewritte(2009)は、スポーツ競技がこれほど多く存在するのは、スポーツが優良遺伝子の正直なシグナルとして機能するからであり、そのシグナルは有益 (進化に関係する情報を提供するもの)であり、正確(偽るのが難しく、信頼できるもの)であり、透明性(見た他の個体がその表徴を解読できるもの)でなければならないと主張している。しかし、これら三つの性質はしばしばトレードオフ(両立不可)で、スポーツの種類によって要求される比率が異なる。さらには、装飾的なシグナリングのうちに冗長かつ複数のシグナルが現れる可能性がある。
加えて、新しいスポーツが誕生しシグナル価値を失った古いスポーツは、新しい機能を得て適応することで存続可能である。例えば、ファンが賭けで稼ごうとしたり、ゲームに関連する歴史や統計知識を披露して人々の心を捉えようとするなどだ。この場合、選手による身体能力の誇示という、そのスポーツ本来の機能は失われる。
スポーツではないゲームの研究に進化的観点を適用する試みがいくつかあり、Grayの分析(2004)は、男性が女性よりも頻繁にカジノゲームをするのは男性に一般的な、交尾相手を惹きつけるためのリスクテイクの高さと資源保有への依存の副産物であることを示す。
カードゲームやデジタルゲームなどへ適用する研究はほとんどないが、興味深いことは間違いない。
考察&結論
進化の枠組みは遊びの研究に大きく貢献してきたが、そこでは「動物がリラックしていたり、ストレスの少ない環境にいるとき自発的に開始される、パターン化された機能的ではない行動であり、構造的・文脈的・個体発生的により重大な行動とは異なるもの」として注目されてきた。この定義は、一般的な「遊び」のイメージを捉えてはいるが、人が経験する遊戯的経験の全てを捉えていないし、進化が作用する心理的レベルを適切にとらえていない。
言語によって遊びとみなされる活動は異なるが、私たちは、それらの活動にもちいられてる心理的メカニズムすべてに、遊び心という心理的能力がなんらかのレベルで作用していることを示唆する。この心理的メカニズムは自然淘汰を通じて、生物が自らの身体能力を高める方法を積極的に探すメカニズムとして進化するとともに、性淘汰を通じて、ゲームやアートのような複雑な現象を生み出すために進化してきた。
これらのメカニズムの存在を支持する堅実な証拠が十分にあることを主張する。必要なのは、"理論の危機(theory crisis)"を回避する優れた理論である。
心理学における"理論の危機"について
ミールは1978年に、心理学の理論は生まれては消え、ほとんど累積的な進歩はないと主張した。心理学は「理論の危機(theory crisis)」に直面しており、心理学者は理論構築にもっと投資すべきだという主張がますます一般的になってきていることからもわかるように、ミールの評価は今でも有効であると我々は考えている。本稿では、理論の危機の根本的な原因は、優れた心理学理論を構築することが極めて困難であり、その理由を理解することが理論の危機の中で前進する上で極めて重要であると主張する。
性淘汰がこの理論になるかもしれない。しかし、研究者は、研究をより豊かにし、矛盾が生じにくくし、誤解を避けるために、いくつかの基本原則を受け入れるべきである。原則のいくつかは、生物音楽学のような他分野では使用されている。
・これらの行動現象は相互作用する多くの心理的要素で構成されていることの認識。
・異文化間および種間のホモロジー(相同)・アナロジー(類推)を探すこと。
・エリート主義を避け、生態学的妥当性に焦点をあてる
・Tinbergen's four questions ー機能(なぜその動物はその行動をするのか?)、個体発生(その個体が生きている間に、その行動はどのように発達したか?)、原因(何がその行動を引き起こすのか?)、系統(その行動はどのように進化したのか?)、そして、Tinbergen’s questionsのアップデートを考えること(主観的経験、近位と遠位の中間的説明としての社会文化史)
ダーウィンの理論は拡張され、更新されてきた。性淘汰の異なるメカニズムが提案されている。例えば、男性が女性よりスポーツをする傾向にあるのは、女性がスポーツをする男性を好むためかもしれないし、スポーツが同性間の競争において武器になったり、父となる可能性の誇示したり、その他の生物的社会的文化的に機能するからかもしれない。心理的特性は武器と装飾の両方として機能しうる。
人間生活上のもっとも興味深い側面のいくつかを解明するために、種内差異を調べ、その原動力となるメカニズムを探ることを提案する。遊戯的現象(ゲーム、スポーツ、アート、宗教、ユーモア)は、それぞれどう違うのか?それらが個の生存や繁殖の成功にどのように貢献するのか?今後の研究では、遊戯的現象間の重なり、一現象がもつ複数のレベル、文化的意味、種間の類似性、生物の発達段階、自然淘汰と性淘汰の両方について検討する必要がある。