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「昭和の時代よりは良かった」

「昔は良かった。」
「昔の人間の方が良かった。」

 家の田畑を守る世代が大多数を占める時代、人情的なものはボトムが高かったはずだ。

 噛み砕いて言うと、家族はもちろん、隣どころか近所や地域の人間同士の距離が近かったのだろう。

 良いか悪いかは別として、田舎では玄関の鍵すらまともに機能しておらず、気づいたら居間に近所のおばちゃんが座っていたりする。

 母の実家がそうだったので、父の実家との違いは子供でも理解できた。

 この違いは言うまでもなく、お金を持っているか持っていないかである。


 世話を焼くことを生きがいにしている人が一人いれば、食事から盆踊りまでとても賑やかな時間を過ごすことが出来る。

 さらに災害時には恐ろしく結束力が高まるから今思えば信じられない。

 とはいえ、私の学年が上がるにつれて一人、また一人と姿を消していくとともに、人口対策で町が転入者の優遇を始めると、玄関の鍵を新しくする家が増えた。

 何も持って行かれるものなんか無いと言って、今まで鍵をかけていなかったが、さすがに見知らぬ男が一人ウロウロし出し、気味悪がっての事だ。

 とうとう、年頃の子が命の危険を感じる出来事があったこともあり、それまでやりすぎるほどに開放されていた町は一転して閉じたのである。


 祖父が8人兄弟の下から2番目とあって、珍しい会社勤務、しかも祖母も会社勤務で定年が50代の時代に課長を務めていた。

 役職で言えば祖母の方が祖父より上だったこともあって、会社は違うが狭い町だからちょっと歩くだけで知り合いに会うのは仕方がない。

 立場を意識して祖父は常にスーツを着て、祖母の隣を歩いていた。


 だから、青春時代に第二次世界大戦を経験して生き残った世代としては珍しく、お金だけは困らなかったのだ。

 ただ、当時吹けば飛ぶような子供だった私個人的には、そんなこと解りはしないもんだから、父の実家よりも母の実家の方が好きだった。

 社会的にはまともでも、人間としてとても冷たかったからだ。

 集団就職から仕事一筋、脇目もふらずよそ見すら許されなかった若い時代のせいなのだろうか、人とどう接していいかわからないまま年を取ってしまったのだろうとしか思えない。

 彼らの子供である私の父は酒癖から女癖、さらにはギャンブルで消費者金融から追いかけられるなんていう、小説のような人間を地で生きていた。


 それらを思い出しながら書くが、今は結核や赤痢などの伝染病が流行らなくなるくらいには清潔で、教育も行き届くようになり、少なくとも学校が荒れる時代ではない。

 革命だなんだと闘争が流行っていた時代から、学校の廊下を原付で走るなんてカオスな時代よりも今、迷惑をかける人間は増えたのだろうか。

 増えることを許容するわけでは無いが、ずいぶんマシだと思わないか。


 いわゆる暴走族のような、夜中に騒音をまき散らす連中もいないとは言わないが、旧車会なんて交通規則は遵守する新しい概念も出てきた。

 ただ、騒音もいわば暴行にあたる可能性が高いわけだから、そのうち徹底的に摘発が行われることを期待する。

 昭和の時代がよかった、その言葉を口にする前に今一度本当に何が良かったのか冷静に考えてから口に出した方がいいかもしれない。


ちなみに

 先日、隣が誕生日会をやっているんだろうなってくらいには騒々しかったので日付が替わるまでは大目に見ていたが、それでもなお収まらなかったので110番通報した。

 少し変わった構造の建物で、中庭に駐輪場があるタイプ。

 なので、それはそれは奇抜なバイクがずらりと停まっていて、ふつうなら治安を気にするはずだ。

 オートロックにもかかわらず、匿名で通報したのでパトカー到着後、どうしたらいいか警察署から折り返し電話がかかってきた。

 緊急通報だし、匿名でも電話番号は把握される。

 深夜一時、下に降りていくのも匿名の意味が無いので、中庭を経由していつも開きっぱなしになっているドアからエレベーターで上がるよう伝えた。

 しばらく監視をしたのち、必要であれば口頭注意します、と対応をきちんとしてくれたので、安心して眠ることが出来た。

 その後、あれだけ並んでいた駐輪場の奇抜なバイクたちは、きれいに居なくなってスッキリしていた。

 警察も私有地には滅多に入れないから大変だろう。
さすがにそこまでは予想外だったな。

 迷惑なものは、とっとと通報して一掃してもらうことが大事だわ。


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