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30年経っても語り継ぐべき117について(私が感じていたことと「しあわせ運べるように」について)

写真は京都ですが。

あの日から30年が経ったことに驚きます。
そして30歳以下の人たちはあの震災そのものを知らないのだということも驚きです。
そんなにも長い年月が経ったのですね。

30年前の今日のことをよく覚えています。
不吉な夢を見て眠れなくなり、寝室から抜け出して居間のテレビをつけると、夢とシンクロした内容のアナウンスが繰り返し流れていた朝のこと。

私はいわゆる予知夢を見るタイプのようで。
あの日の朝の夢で私は、大阪で看護師をしている親友と一緒にご飯を食べていると、突然大地震に襲われて、建物の下敷きになってしまいました。
わずかな隙間があり、2人とも何とか生きてはいたものの、何日もこのままかもしれないと思ったときに、カバンの中におにぎりしかなくて。
(という設定)
せめてチョコレートや日持ちのするものを入れておけばよかったと後悔しました。

あまりのリアルさに目が覚めても動悸が止まらなくて。
時計を見ると、6時まであと10分と言ったところ。まだ早いのでもう少し眠れると思ったのですが、目が冴えてしまい、結局6時過ぎに起きました。

当時の私は妊娠7ヶ月。
これは近いうちに大きな地震があるかもしれないと思いました。
こんな体で、しかも真冬の札幌であんな大地震が起きたら大変なことになる。
防災の準備をしておかなくてはと不安ない気持ちでテレビをつけたら、信じられない言葉が耳に入ってきたのです。

阪神地方で大きな地震があった模様。
ビルなどが崩壊していると言う情報がありますが、現地とは連絡がつかず、何が起きているか詳細は不明です。

夢で見たことはすでに現実になっていた。
私はショックで本当にその場に座り込み、そのまま何もできずにずっとニュースを見ていました。

7時になり長男が起きてきたのでハッとしてようやく私は立ち上がり、何とか日常の作業に取り掛かりましたが、とてもじゃないけれど心が平静でいられませんでした。

私が被災したわけではない。だけど泣きたくなるほどしんどくて、どうしてこんなことにと絶望感でいっぱいになったのです。
多くの人たちが似たような気持ちになっていたのではと思います。

産休まではまだ時間があり、そんな朝でも会社に行かなくてはなりませんでした。
私は当時生命保険の営業していました。
朝礼で上司が
「災害時の保険金等は免除にすることができますが、今回の地震の規模はまだ不明ながら、請求のあった保険金に関しては全額支払われると言うことになりそうです」
と告知してくれました。

例えば小さい保険会社では、このような災害でたくさんの方が亡くなり、いっぺんに保険金を支払ってしまうと、運営に支障をきたすことがあるため、減額することが法律で認められているのです。
私が当時勤めていた会社は当時は世界で1番の規模を誇る生命保険会社でした。
(この国の名前がついている生保)

そのことを伝えて、小さい規模の保険会社の既契約者さんたちに、うちは全額払うと言って回りなさい!

営業の仕事は難儀です。
特に生命保険は人が不幸になったときこそ稼ぎ時。
わかっているし、それが仕事。
それに実際に何かあった時、減額される会社より多分日本で最も支払われる額が大きいと思われる大手がいいに決まっている。
それを宣伝したほうがいい。

うむ。
でも、聞かれない限り言わないな。(こっそり)

会社では地震の話でもちきりではありましたが、今のようにスマホもなく、最新情報は簡単に手に入りません。
そしてみんな仕事モードになっていき、私も営業先に行ったのですが。

担当企業で営業して回ろうとわざわざ重たいカバンを持って出かけたのに、誰とも会う気持ちになれなくて。

結局、担当企業があるビルのロビーのベンチで、何もできないまま2時間ほど、ぼーっと座っていました。

何にも頭に浮かばなくて。
ただただしんどくて。
あの日ただ何もできずに冷たいロビーのベンチで動けなかった時のことは今も鮮明に覚えているのです。

日常生活にうまく馴染めない。
ずっとどこか上の空で、頭の中は阪神の人たちとかその近辺の人たちのことでいっぱいで。
当時は夢で見た親友しか知り合いじゃなかったのに、勝手に涙が溢れてくる。

普通のことをしているのに罪悪感と絶望がいっぱい入ってきて苦しい。
そんな一日を過ごしました。

それから数年が経ち、仕事で神戸に行った時に、ああ、美しい街が出来上がていて、すごいなぁと思うと同時に悲しくなりました。

全部新しくて美しくなった一画は、つまりそこはあの時全てが一度失われてしまったことでもある。
他の街の再開発とは違う、悲しみとそれでも頑張ろうと進んだ誇らしさの入り混じった場所。

それでも神戸はすごい。
あの時の爪痕を感じないほど復興しているように見えました。

でも街は綺麗になっても人の心までは簡単に復興できない。
それに元のようにならなくてもいいとも思います。
それだけの喪失を体験したのですから。

先日の成人式で神戸の20歳の若者たちが、合唱していました。
初めて聞いたのですが、地震のあとに作られて、神戸の人たちはみんな知っている歌だと紹介されていて。
「しあわせ運べるように」


子供達は皆学校で合唱していたそうです。
地震が起きてから10年も経って生まれたのに。
それぞれが神戸の街を愛していて、これからもずっと前に進んでいく気持ちが溢れていて、涙が止まりませんでした(出社前だったのに!)

代表の方が、「実際に被災された人たちは、経験していない私たちが歌うことをどう感じるのだろう。忘れたいのにまた思い出させてしまうのではないか、歌って大丈夫だろうか」
と心配されていて。

この曲を作った方に会いに行き、話を聞いたのですが。
思い出したくない人もいる。そこは忘れてはいけないが、でも、生きられなかった人のことを忘れてはいけないし、彼らのことを含めて語り継いでいかなければならない(意訳)

ということを話されていました。
思い出したくないほど辛いことだと思います。
だけど、亡くなった人のことを無かったことにするのは確かにもっと悲しい。

傷が癒えない人はそれでいい。
大丈夫な人だけでいいから語り継いでほしいと私も思いました。

朝ドラでは117の被災者が主人公で、彼らが311が起きた時、自分たちができることをする。
被災した人たちだけじゃない。
みんなが助け合える。
そんな社会であることが嬉しいし、やっぱりできることはしようと思いました。

あの日だけじゃありません。
311だってそう。
他の災害全てにいえる。
これからもまたどこかで起きるけれど、それでも何があっても前に向いて進んでほしいし、自分がその状態になった時、想像できないほど辛いと思うけど、それでも前に進めるような自分に、そして誰かの背中を押せる自分でいたいと思いました。

あの日この世界から旅立った魂の全てが光の中で安らかにいられますように。

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