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子育ての基本は学校で学びました(母親心理学)

実は時々、
「どうやったらあんなふうに育てられるのですか」
的なお褒めの言葉をいただくことがあります。

人様にどんなふうに写っているのかは分かりませんが。
母親の私から見ても3人の子供たちは、優しくて、思いやりがあって、しかもしっかりしている大人に育ったなぁと思っています。

しっかりしていることも優しいことも思いやりがあることも、多分母子家庭でめちゃめちゃ苦労したことと無関係ではない気がします。

特に全員が、「自分がしっかり稼がないと」と思っているのは、間違いなく過去のトラウマ?(苦笑)

めちゃくちゃ我慢させてごめんよ😅

ただ、どの子も幸いにも「お母さんのせいで貧乏だった」的な言葉を発したことがなく、苦労させたことを謝ると、あの頃のことはあんまり覚えていないとか、そんなふうに思ったことはない、などと言ってくれます。
本音は知りませんが(笑)

子育てについて相談されたりアドバイスを求められることもあるのですが。

どうやって育てたのか。
その基本になる事は実は2つあります。

一つは、自分が21歳でまだまだ未熟だったので、「ちゃんとしたお母さん」になるのは無理だなぁと最初からハードルを下げたこと。
もう一つは短大で学んだ「母親心理学」の中身を参考にしたこと。

私は21歳で妊娠してしまいまして。
それまでの人生で子育ての経験もないし、そもそも人間としての経験もないし、自分が子供を育てることに全く自信がもてなかったのです。

その時に自分で考えて1つだけ決めたのです。

親としての役割をちゃんと全うする自信はないが、彼らの助けになることを、自分のできることを、精一杯やっていこう、と。
ていうか、それしかできないと。

例えばオムツ替え一つとっても、そんなスキルは無いし。
当時はインターネットもなかったので、育児書と書かれた本を参考にするのみで。

お尻がかぶれた!とか、なんかお洋服までもれちゃっている!とか、べ、便秘なの?とか。
何か小さい問題に直面するたびに右往左往していまして。
そんな私が一番頼ったのは市の保健師さんでした。
長男が一歳になり、保育園に預けるようになってからは、保母さんにもめちゃくちゃ相談しました。

私の母親は、世間一般で言ういわゆる毒親タイプの方で。
モラハラとネグレクト要素が強く。
育児のことをもし相談しようもんなら、
「そらみたことか!あんたに子育ては無理なんだ」的な発言のあと、ただただ批判されて、結局有益な情報がないどころか、あの子はまともに子育てもできないなどと、謎に親戚に言いふらされるという現象が起きるので(苦笑)

要するに頼れない。
頼ったところで参考になる情報を持っている気もしない。
元夫さんの実家も悪い人ではないのでしょうが、なんていうか連絡を取る関係性がない。
友達はほとんどがまだ大学生で、子育てなんて知らない。
時は1990年初頭。
世間はバブルに浮かれておる。

そんなこんなで、保健師さん一択。
何か悩み事があると保健所に電話をして、こんな時どうしたら良いのでしょうかと相談すると、ちゃんとアドバイスしてもらえるのです。

そして、私にはバイブルがありました。

短大の頃心理学の勉強をしていたのですが、その中の1つに「母親心理学」がありました。
その時教授に勧められた本。
「私は赤ちゃん」
1960年出版とあります。
私のは1981年に印刷されたものでした。

今もあるのかと探したらAmazonで買えるようです^ ^

この他にも、アメリカのどこかのシンクタンクで長いこと「母子の研究」をしていた心理学のテキストなどで勉強しました。

授業で聞きながらシンクタンクってひどいことをするなぁと思っていたのですが。

例えば「生まれた時から1度も母親と目を合わせずに育てた子供がどうなったのか」を研究したりとか。
一度も抱かない、話しかけないなどなど。
その人の人権は?と思いつつ学んでいましたが。
そんなふうにいろいろな形で子育てをしてみて、その子が結果どうなったのかのデータがたくさん載っていまして。

その中から、母親がどうすれば子供が1番安定して育つのかが書かれていたのです。

罵倒して育てるより、話を聞いて育てる。
何もかも手を出さずに自分でやらせてみる。
などなど。
まあ当たり前のことですが,データの裏付けがあり信頼できそうでした。

後は、
「母親は港であり、いつでも帰ってこれる安全な場所だと思ってもらえることで、子供は初めて自由に外に出て行けるのだ。
だから港になるよう心がけよう」
そんなことを習いました。

自分の育った環境や母親が通常とはちょっと違うことがなんとなくわかっていたので、目をギンギンにして母親心理学を学んでいました(笑)

それらを参考に育てたので、うまくいったと人に褒められるのかもしれません。

でもそのベースにあるのは、人として当たり前のことであり、
「彼らは生まれた時から1人の人間である。
自分の所有物とかでもなく、自立した人格を持っている」
ことを意識して育てる。
そんなことが書いてあったので、それは最初から強く意識していました。

そのため全員めちゃくちゃ自立しているのですが。
母親が生きるのがへたくそなので、反面教師にしている部分もあるとは思いますが。

願いはただ一つ。
とにかく幸せになってほしい。
彼らが人生が終わるときに良い人生だったなと思えるような、そんなことを考えながら育ててきました。

1つだけはっきり言えることは、本当にいろんな問題が次から次へと起きてきた波瀾万丈的な家庭ではありましたが、彼らは全員、私が彼らを愛していることを疑ったことが1度もないことが唯一の救いでした。

一人の人間を1から世話して成長の何らかの手助けをしていくわけですから簡単なわけはないし。
人から見たらうまくやっているようでも、私からみたら全然思ったようにできないことばかりなんですけどね(笑)

それに私がした事は、もともとあった彼らの中にある芽をできるだけ素直に伸ばすということだけで。
その芽を持っていたのは彼らだし、色んなことがあったのに曲がらず育ってくれたのは彼らの資質によるもので。

なので、評価してもらっているのは、私がどうのこうのではなく、子供達が頑張って生きてきたことを褒められているような気はします。
実際そうだしね。

だからそれは素直に嬉しいですね☺️

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