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こんな世界のまなざしかた

高3の時、「宛名のないメール」というサイトに1度だけ書き込みをした。このサイトは「世界一優しいSNS」というコンセプトのもと、小瓶に手紙を入れて海に流すように、誰かに聞いて欲しい悩みを匿名で書き込むことができるサイト。当時はこの場所を度々訪れていたが、しばらくしてこのサイトのこと自体、すっかり忘れてしまっていた。

ふとしたきっかけで、このことを思い出して当時の自分の書き込みを見てみたくなった。ログインIDはメールアドレス、パスワードは名前に誕生日というセキュリティガバガバなものをずっと使い回しているためすぐに入れた。タイトル「生きたくないけど死にたくない」500文字程度で綴られた文章は、自分でもびっくりしてしまうほどめちゃくちゃで、病んで病んで病みまくっていることだけはひしひしと伝わってきた。

驚いたことに、この書き込みには4通も返事が来ていた。閲覧数170 お返事 4通。当時の私は、この投稿をしたことがなんだか恥ずかしくて、それ以来このサイトを開かなくなった、、気がする。だから返事が来ていたことにも全く気が付かなかった。壁打ちのつもりで投稿したこの文章に、返事を送ってくれた人がいたことが嬉しかった。

「心療内科にかかってみては。」と1文だけのもの、「辛いのがよくわかる。でもあなたは十分立派ですよ」と慰めてくれているもの、「私もあなたと同じ悩みをもっていて~」と共感してくれるもの。全部とってもありがたかった。
最後の一通。ほかの返事に比べて文章量が多く、1000文字くらいはあったと思う。「なんだか過去の自分を見ているようで、思わずお返事を書いてしまった。」という一文から始まるこのお返事。時間をかけて全て読んで、ボロボロ泣いてしまった。

「悩むという行為はエネルギーを消費しますし、今のあなたにとって非常に苦しく辛いことだと思います。なので私の言葉など届かないかもしれませんが、確実に言えるのは、悩みを抱えることはそれほど悪い状態ではないということです。世間では楽観的に生きていくのが良い人生だと考える人も多くいます。でも、あれこれ考えてしまうような人生だって決して間違いではないのです。それが自分にとって自然な形なのであれば、矯正する必要なんてないと思っています。」

「でもきっと、あなたも「考えないようにしよう」と思うほど、心に引っかかって取れなくなるような方なのではないですか。(憶測になってしまってすみません。)私はそんな時、「あー自分今悩んでるんだなぁ」と、客観的に捉えると少しだけ楽になります。」

「不安なことがいくらあったっていいのです。それら全て含めて自分の人生なんだと、受け止められる日はまだ先かもしれませんが、本当に自分の生き方を否定することはないですよ。拙い文章でごめんなさい。自分の思ってる通りの言葉を探すのは本当に難しい。少しでも伝わっていたら嬉しいです。」

1部を切り取るとこのようなことが書かれていた。当時の私に読ませてあげたい。すごく救われたと思う。悩みや不安を解決する方法を書くわけでもなく、あなたはそれでいいんだ、それらを抱えた人生もあなたのものなんだ、と。他の人よりもなんでもかんでも考えすぎてしまう私が、無くしたくて無くしたくてたまらなかった「不安」というお荷物。それが突然、私の人生にくっついている装飾のように思えた。自分の人生がパズルだとして、死んだ後に完成したものを見た時、真っ白でピシッと揃った完璧なパズルよりも、違う色のピースや変な形のピースが混ざっていたり、傷ついて歪んでいたり、少し涙で濡れている部分があったり。そのほうがおもしろいかもしれない。だから、不安も悩みも、全部抱えていたって、毎日泣いて過ごしたっていいんだって。そんなふうに思わせてくれた。当時の私に読ませてあげたいと書いたけれど、ふとこのサイトのことを思い出したのも、返事に気がついたのも何かの巡り合わせで、今日も今日とてやんわりと不安を抱えている、今の私が読むまでそこでじっと待っていてくれたのかもしれない。

私は会ったこともない、顔も知らない他人にここまで寄り添えたことがあっただろうか。周りにいる友達や家族に対しても、何も貢献出来ていないのに。いや、むしろ顔が見えないからこその優しさもあるのだろうか。このお返事を書いてくれた人は、人生の中の大切な時間を、悩んでいた高三の私に少しだけ分けてくれた。きっと、すごく繊細だからこそ、他人に対する配慮も繊細で、優しくできる人なんだと思う。直接お礼を言うことは出来ないけれど、このお返事をくれた方が、今日も明日もおいしいご飯を食べて、幸せの中でゆっくり眠れていますように。

私はまだ自分のことに精一杯で人生の時間を他人に分けてあげられる余裕も、辛い人に気の利いた事を言ってあげられる語彙も教養もない。けれど、傷つきやすくて不安になりやすいからこそ、他人の感情の手触りに敏感でいることは忘れたくないな、と思う。これまでいろんな人に分けてもらった、優しさの種は大事に引き出しの中に閉まっておく。いつかきれいな花を育てて、高3の頃の私のように毎日泣いている人に配れるように。泣いて過ごしたっていいんだよ。花は毎日水をやらなきゃ育たないんだから。

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