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私の箱
自分はいったい何を持っているのだろうと感じる。私の好きな人達はみんな、心の底から人にやさしくできたり、笑顔がかわいかったり、絵が素敵だったり、惹かれるなにかを持っていて、だから私はこの人たちのことをなんで好きなのか、原稿用紙3枚分は語れると思う。
昔からずっと、たぶん何も持っていない私は、なにかを持っていないと、愛してもらえるなにかをひとつ持っていないと、いつか周りにいてくれる人達が離れて行ってしまうのではないかという不安をやんわりと抱えている。
だから私はその人のことが大好きになればなるほど、へらへらすることも、いじわるを言うことも、ふざけることも出来るけれど、そんなことをして「なにか」を持てた気になっている、そんな時の私は、私のことが世界で一番嫌いだ。家に一人でいて、あたしンちを見ながら冷凍のグラタンを食べている時の方がよっぽどいい。
ずっと、自分の素をさらけ出せるということをイコールとして、「目の前でおちゃらけた姿を見せられる」ということだと思ってきた。でも最近は自分の弱さや情けなさをこうして文章にして吐き出したりして、自分で自分を理解していくうちに、これは大きな勘違いなのだと気付き始めた。自分の本当だと思ってきたそんなおちゃらけた姿もまた、なにかを持っていたいという焦りから無意識に行動してしまっている自分の姿だったとしたら、本当に自分が分からなくなる。
こうしてぐるぐると自分のことを考え続けて無駄に時間を浪費してしまうことが増えた。何も持っていない人間だけれど、自分のことは自分でよく分かっているということにだけはずっと自信があって、同時に自分くらいは自分のこと、分かっていてあげないと、とは思ってる。
人に依存しやすかったり、1度好きになると、とことんのめり込みすぎてしまうのも、好きなものを自分の一部として扱おうとしていることの表れなのかもしれない。読んだもの、見たもの、聞いたもの、会った人、私の好きなものはみんな私の内側に閉じ込めておけるものではなくて、私の周りを囲んでくれるもの、という感覚を持つべきなのにね。
でも、大事なものを箱の中に閉じ込めて、逃げ出さないようにしなければ、不安なのだ。星の王子さまみたいに、箱を見ただけでそこに入っているのが羊だと、心でわかるような感性は私にはないし、だから私はぎゅうぎゅうに箱の中に詰め込んだ好きなもの達がなんだったかも思い出せないまま、それを宝物だと思い込んでみんなに自慢したくなってしまうのかもしれない。
今日も今日とて重たい文章になってしまった。それに今回は自分が何を言いたいのか、本当に分からない。でも、これでいいのかもしれない。文章を綴っているときは少しだけ素直になれてる気がする。そんな風に素直に書いた文章が何を言いたいのかよく分からない文章なら、今の私は言いたいことなんて別になくて、どこからどう見てもよく分からない私で、ただそれだけなんだと思うから。