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居場所が欲しくて。
高校生のころ、どうしようもなく愛情に飢えていた。(もしかしたら今も。)
だれか私に無償の愛を注いでくれる人はいませんか。と、声高に叫びたい気持ちでいっぱいだった。
ほんとうは、愛してくれている人はたくさんいたのに。家族がいた。友達がいた。私を好きと言ってくれる男の子がいた。
だけど、それだけでは足りなくて、目に見える、カタチのある愛が欲しくて。とにかく毎日が苦しかった。そんな想いを誰にも打ち明けられないまま、平気なふりをして、日々を過ごしていた。
大学生になって思うこと。
人のために生きるのはきついな。私は医学部に来てよかったんだろうか。今でも進路に悩むときがある。
医学を志したきっかけは、知人が難病を発症して苦しんでいるのを知り、治らない病気を治るようにするために、研究医として医学の進歩に貢献したいと思ったから。
こう言うとみんな、立派だね、とか、将来についてしっかり考えてて偉いとか、褒めてくれる。そうだよね。私もそう思う。
だけど、これだけじゃないんだ、医学部に決めた理由は。
医師になったら、好きなことをしていても、誰にも怒られないと思ったから。
どういうことか。
私は小さい頃から研究者になりたかった。生物系の研究者。人間よりも動物の方に興味があったから。だけど、研究者になることを自分の職業として考えたときに、どうしても不安があった。食べていけないんじゃないか。自分に研究のセンスが無かったらどうする?あと、女性で理系研究者って、世間的に見てとっても少数派。大丈夫なのかな、私。男社会でやっていけるかな。結婚できるかな。
そんな不安を抱えていたときに、塾の先生が教えてくれたのが、MD/PHD(医師で研究者)になるという道だった。
医者…。一番自分から遠い存在だと思っていた。だって、病気の人に向き合い続けるのってすごく大変そうじゃん。それに、もし失敗して患者さん死なせちゃったらどうする?責任取れる?
でも、いろいろ考えた結果、医師免許を取っておくことは将来の自分にとって確実にプラスになる。し、もし研究医になれなくても、医師として働けるから食いっぱぐれることはないと思ったから、医学部に決めた。
知人が難病になったという話は本当だよ。その人のために自分ができることがあれば何でもしたいと思った気持ちに嘘はないよ。
だけど、ただただ人を助けたいという純粋な動機だけではなかったということは、ここに書いておきたいと思います。
高校生のときの私にとって医師免許を取ることは、社会における自分の居場所を確保することと同義だった。
人の役に立つことでしか、自分の存在意義は見出せない、だれも愛してくれないと思っていたから。
私は、どんな人も、生きているだけで偉いと言ってあげられる人になりたいです。