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茶杓をもらう

月曜から、大船渡の実家に来ている。自分でも夫でもない、友人の、言わば他人の実家だ。震災後何度かお邪魔させてもらった。たまにこうして他人の家で親孝行欲を満たす。

しかし実家というのはなぜこうも、似ているのか。窓から入る太陽光が床に映り、穏やかな無音の中で、その光がゆっくり移動していく。そして親たちはだいたい、ご飯の準備と散歩以外ほとんど何もしていない。ように見える。

碁石海岸に行ったり、最近できたちょっと新しいカフェに行ったり、道の駅やスーパーに行ったりしてのんびり過ごした。前に来た時より建物が増えているが、それでも更地が目立つ。堤防の向こうに、穏やかな海がキラキラしている。

お茶をやっていた友人のお母さんは、頃合いを見て、「じゃあお茶っこタイムにすっぺ」とお茶を出してくれる。前まではちゃんと釜をかけてお点前をしてくださったが、もう足が悪くなったからと今回はテーブルで点ててくださった。「お茶っこ」はこの辺の方言らしく、お風呂のことも「お湯っこ」と言う。かわいい。

今日も玄関とリビングから見える床に、コスモスがいけてあった。お軸の代わりに私が昔送った「ひとうたの茶席」のポストカードが飾ってある。

この時間のために私は抜かりなく、事前に「たらふく最中」と「芋栗かぼちゃ水晶」を送っておいた。

お母さんは盆略点前用のお盆を出して、棗にお茶を詰め替え、茶杓を出した。そうだそうだ、この茶杓。2000円もしないお稽古用の茶杓を、60年近く磨いて色艶が出たその茶杓を以前来た時にも拝見し、これまで見た中で一番美しい茶杓だと思ったんだった。

私はしみじみと茶杓たちを拝見し、「いつかもう要らなくなったら、このお茶杓どれかください」とお願いした。「今どれでも持って行ってー」とおっしゃったので、5本のうち形が重複してそうな一本を選び、後はまた育てていただくことにした。大船渡まで来たかいがあった。

重要な仕事を終えた後は、さっき魚屋さんで買って来た、ぴかぴかのさんまを焼いた。私は大根おろし係。お母さんは、すすきと果物で十五夜の飾りを作り、雲が晴れるのを待った。

お父さんと友人の夫も合流し、さんまをメインに、お味噌汁やホヤ、漬け物で夜ごはんを食べた。普段飲まない私もつられてビールを飲む。夕食の間にも、お母さんは次々と栗を剥いてくれる。

お父さんは友人の夫さん相手に仕事論を語っている。何度も聞いたであろうその内容をはいはいと聞き、ビールを注ぎ、空の缶を片付ける、素晴らしい婿っぷりを窓越しに眺めつつ、私たちはベランダに出て、やっと出て来た月を見ながら飲んだ。お父さんはなぜか月に柏手を打っている。

また5年後に来るまで、元気に茶杓を育ててくださいねっとご挨拶し、また次の場所へ移動した。