音楽ホールの神さま
いい音楽ホールには、神さまがいるんじゃないかなぁと思うことがある。神さまと言うか、アーティストと聴衆が時間をかけて築いてきたエネルギーの蓄積のようなもの。いいお店がそうであるのと同じように。
昨日、友人に連れられて、深谷まで行った。養鶏場主催のEggFarm祭りだ。古い養鶏場の建物の中のミニチュア蒸気機関車、太鼓のワークショップ、はちみつやクッキーや深谷ネギを売る出店などとともに、ピアノを演奏させてもらえるのだ。ドラマ「カルテット」みたいな風情がある。
Hall Egg farmは、JAZZの錚々たる表現者たちに愛された、知る人ぞ知る伝説のホール。レストランLe Coqと併設されている。道すがら、ボストンから船で運んだというニューヨークスタインウェイは、製造番号が若いわりに状態がよく、滅多にないピアノだと聞いた。
開演前の試し弾きの時はそうでもなかったのに、始まると本番だけ本気出す子のようによく鳴った。レストランに来たお客さんたちが足を止めて、気が向けば座って行くカジュアルなスタイルだ。
午後の開演時間、バッハの平均律から始めた。お客さんは静かになって聴き入ってくださり客も増えたが、ホールの気配は、なんとなくつまらなそうだった。ウケが悪い。
事故渋滞で大幅に遅れている次の出演者までの時間を稼ぐ必要のあった私は、エル=バシャさんの宣伝をするとともにレバノンの話、ほぼ関係ないゴーンの話までして尺を稼いだ。
ショパンの遺作のワルツとエルバシャさんのアレンジを聴き比べてもらい、また漫談で間を繋ぎつつショパンのノクターンを弾く。阪田知樹さんのご紹介の頃に次の方々が無事到着したのが見えたので、「故郷」のアレンジを弾いて終わった。
この30分でこのホールとピアノの喜ぶエネルギーが概ね分かった気がする。生真面目に努力した感じのものをさして喜ばない、子どものような自由な気配なのだ。神さまというより、見えない小人のような楽しいエネルギー。
そう言えば同じように森の中にあった蓼科音楽堂もそういう感じだった。ワルツの演奏途中に楽譜がふわっと飛んでしまったが、こういう小さいいたずらを仕掛けてくるような偶然も何度か経験したなぁ、と思いながら楽譜を押さえた。演奏者の怠慢を決して許さない、北大路欣也的圧のサントリーホールとかとは対極にある。
最後に演奏された、地元で活躍する小木曽美津子さんは、完全にホールとピアノのエネルギーを味方に付け、東京ではおよそ味わえないような反応がビビットで温かい聴衆に囲まれてその日のコンサートは終わった。
このホールに合わせて弾くことに慣れると、都会のホールで弾くクラシックとしては崩れて聴こえるものになってしまうだろう。でも都会のホールでは教えてくれない、音楽のおおもとの懐の深さ、そして優しさをもう一度教えてくれる稀有な場所だ。気難しい顔で真面目にひとつの方向を目指して頑張る、みたいになりがちな都会のホールでの評価軸が、色あせて見えるほどに豊かだった。
終演後、友人の古くからの付き合いであるこの養鶏場の運営の方とお茶をして、私も名前くらいは知っている大御所たちの破天荒な昔話を聞いた。高橋悠治さんや田中泯さんが公演される時、また足を運びたいと思う。
・バッハ平均律クラヴィーア曲集第2巻4番嬰ハ短調 プレリュードとフーガ
・ショパン ワルツ遺作 イ短調
・同上(アブデル・ラーマン・エル=バシャ編曲)
・ショパンノクターン 17番
・阪田知樹 夢〜故郷によるインプロヴィゼーション