選曲のポートフォリオ

アマチュア音楽家の選曲ってどうあるべきなんだろう。凄腕アマチュアピアニストの中には、膨大な今世の弾きたい曲リストを順番に潰して行く人もいる。譜読みも、完成させるまでの時間も早い人はそれでいい。譜読みが遅く、技術もほどほどだが、時間をかけて少しずつ音楽性を高めて行きたい、というアマチュアはどうやって行くのが効果的なのか。

今思うと、小学生の頃に習った松山の先生は素晴らしかった。当時5人いた同学年の生徒に、それぞれピッタリな個性の曲を選び、実力以上の物を引き出すことが出来た。生粋のプロデューサーだったのだと思う。

凄かったな、と思うのは、当時本人や親が顕在的に認識していなかった個性までも掬い取っていたことだ。むしろ焦点を当てていたのは、その子が潜在的に待っている影や強さだったように思う。今振り返ると、それらの選曲が、後の人生における自己認識に影響した部分があったのでは、とさえ感じる。

ただその後、より基盤を磐石にして音楽家として仕上げていく段階で、気質や能力の限界があったり他の道を選んだりして、誰も音楽の道に行っていない。成長の複雑さに耐えるほどの強度はない、言わば演出のマジック的な要素もあったのかも知れない。

今でも、私は人前で弾く曲を選ぶ時、そして人の潜在的な魅力に目を凝らす時にも、その先生の視点を無意識に参考にしている。小さい身体で軽い音で弾けるモーツァルトやラヴェル、派手な目眩し要素で乗り切れる若い頃のリストやショパンの小品。

でもそれらをなぞるだけでは自分の音楽の容れ物が大きくなっていかないで終わってしまう。だから苦手な、例えばバッハやベートーヴェンを時々勉強しておいて、得意な曲をより深みを持って弾けるように、というポートフォリオを調整していくことになる。

技術や理論的理解が進めば、到達できる表現が広がる。そうすることで、まだ表面化していない自分に出会うことができる。昔から私にとっては、音楽的な表現ができることよりも、自分を含めた人間を、音楽を通じて深く理解することの方がずっと重要なのだ。

自分の中にあって、まだ出芽していないものを掬い取って行くことができるような、技術的や表現的に少し先の選曲は難しく、また楽しい悩みでもある。