校則について考えたこと


1 学校の荒れとは?

「学校の荒れ」とは,対教師・生徒間暴力などの暴力行為,授業離脱・妨害,シンナ ー・麻薬の使用など,学校や教師に影響を与える,生徒の逸脱行為のことである。

教育社会学研究第85集(2009),川村 光

 「学校の荒れ」は1970年~1980年代に起きており、教師の権威が揺らいだ。ここで、権威とは次のように定義されます。

他者に対して優越した価値の保持者であることが社会的に承認され,かつ他者の行為を左右する意志決定をなしうる能力のこと

森岡清美・塩原勉・本間康平編『新社会学辞典』有斐閣, p.381.

 学校の荒れが起きて、上述の定義にある「社会的な承認」はされにくくなったと考えられます。

 学校の荒れを抑えるため、また教師の権威を復権するためにも、強い指導が行われました。
 その1つが校則の強化です。

2 見た目を重視する校則

 例えば、ニュースでよくこんな校則が紹介されます。
 ・ツーブロック禁止
 ・前髪は眉にかかる程度
 ・スカートは膝丈
 ・化粧、ピアス、整髪料の禁止

 他にも色々な校則があります。学校の荒れに対して、校則を厳しくすることで、沈静化させようとしました。

 さて、教師が校則を守らせるとき、よくこんなことを言います。
 「入試を受けるとき、その格好で行くのか。印象が悪いぞ。」
 
 私はこの言葉が嫌いです。
 普段見た目で人を判断しない。それは差別につながる。相手の内面を良く知ることが大事。
 学校では、こう教えているはずです。
 でも、入試で印象が悪いから、という理由は、完全に「人は見た目で判断するから仕方ない」と言ってしまっているようなものです。

また最近増えている広域通信制高校や定時制高校には、服装の規定はありません。

 大人の社会を見渡しても、服装は様々です。
 なのに、学校という場所では、それを認めない。
 これでは、見た目で人を判断してしまう人たちをどんどん輩出してしまう恐れがあるのではないでしょうか。

3 別の軸をもって指導する

 問題なのは、「入試があるから」という一点張りの指導ではないかと思います。

 では、例えば制服を考えてみます。
 なぜ制服(標準服)ができたのか。
 それは、見た目による差別をなくすためだったからです。
 昔は家庭の経済状況によっては、学校に着てくる服がボロボロで、それを見られるのが嫌で学校に来れない子どもたちもいました。
 そんな状況をなくすために制服は作られました。

 では、例えば化粧・ピアス・整髪料の規定が必要か考えてみます。
 これは個性だから校則から禁止規定をなくせ!と言われたとします。
 自分の好きなように化粧道具やピアス、整髪料を購入できる家庭は良いです。
 しかし、経済的に厳しい家庭だってあります。その家庭の子どもは自分の個性を出したい、表現したいと思ってもできません。
 誰にでも公平に機会が与えられてはいないわけです。

 公平に機会が与えられているのか、という軸をもって指導することも必要ではないかと思います。

 またスカートを極端に短くしている生徒がいたとします。
 これに関しては、上の軸では誰もがクリアできますね。
 しかし、誰もが安心して過ごしていける場所になるか?という軸で考える必要があると考えます。学校には階段があります。スカートを短くしていては、目に入れたくなくても、不可抗力で入ってくることはあるでしょう。そのとき、見てしまった方はどんな気持ちでしょうか?私だったら、罪悪感が生まれます。さて、これを個性として許してよいのでしょうか?

 指導をするにもいくつかの視点をもつ必要があると思います。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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