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小中いじめ体験記 〜私はいかにして戦い、生き抜いたか?②

過去に晒された陰湿な中学生時代までのいじめを体験記録として綴っていきたいと思います。ここからは大変に暗い記述が続きます。陰惨です。戦いまくります。苦手な方は、ブラウザバックしてください。

なお、この記事は必要な所はほぼ無料で読めます。

①に関してはこちらで読めます。

正直な話、この話は自分の中では黒歴史ではないのですが、人を引かせてしまう内容ではあるので、悩みに悩みました。でも、私も40代となり、子どももおらず、それでも誰かの役に立てることがあるなら…現代でもいじめは続けられている現実があり、少しでもこの体験記から何かを知り、何かを考える切っ掛けを持ってくれる方がいたら嬉しいな、と思って書きます。

もう30年くらい前のお話なので、今では普通にあるSNSやLINEなどは存在せず、スマホも携帯も、ポケベルすらなかった時…1990年代のお話です。

<注意>
この記事は、あくまで私が行なった色んな行動に状況がたまたまうまく合わさっただけかもしれません。あなたが同じ行動をしても、良い結果には至らない可能性があります。その上で、読み進めてください。また、私の行動はあまりに突飛です。変わっています。無理に真似をする必要はありません。

4回目のいじめ

中学に進学した時は、やはり前の小学校から入ってきた人間が多数いた。彼らは半分は善良だったが、半分は悪質だった。あまりにも濃い私のエピソードを知っていた彼らは、予想通り瞬く間に噂を流し、私から「距離を取るように、関わってはいけない、仲間外れにするように」とクラスメートを誘導したのである。まずはいじめのジャブ、というやつだ。

誰がスタートになったのか、リーダーになっていたのかは今となっては分からない。ただ、現実は残酷だということである。

そうしている内に、教室内でガラの悪い連中が出始めた。派手な化粧とミニスカート。いわゆるギャルだが、ギャルというよりヤンキーに近い。タバコを吸う数人でつるんでいた4人の女たちは、なぜか分からないが、私をいじめのターゲットに選んでしまった。

このいじめは、今まで受けた中で一番最悪だったと思う。靴を隠されてトイレに捨てられる、殴る蹴るの暴行を受ける、ノートをビリビリに破かれる、体を倒され、足で背中を押さえつけられ床に這いつくばらせ、嫌な事を言わせられる、机に油性ペンで「しね」「クソ」「オタク」と卑猥なイラストを落書きされる。

ドラマでよくいじめのシーンが出てくることがあったが、「すごい、私ってこういうの全部体験してる…!」と思考停止した頭でちょっと感激したくらい、彼女たちのいじめはレパートリーと語彙力に溢れていた。おそらく、私を使って遊んでいて、暇つぶしに玩具にしていたんだろう。人間としては扱われてはいないなあ、とぼんやり思ったりした。

さすがの私も小学校では学んでいたので、まず最初に被害を受けた際に、母親に申告した。母親は大変心配し、学校に行かなくてもいいと言ってくれさえしたが、それでは勉強作戦がうまくいかなくなると思い、その誘いは丁重にお断りした。私のやられっぱなし人生への「復讐」はこれからなのだ。

しかし、ここからどうしようか。担任の先生は大好きだ。これは、今までの先生も変わらず全員大好きだったが、「大好き!」だけでは何も解決しないんだなーと13歳の私は気付いた。いいぞ、私、賢くなってきたぞ。

そこで、担任の女性の先生に打ち明ける事にした。今まで行われていた事を全部報告した。先生はとても心配してくれて、どんな時でも力になると言ってくれた。この先生には今でも感謝しており、これがどれだけ勇気を持つ力になったのか分からない。

しかし、次の日、先生に「チクった」とバレたようで、早速いじめっ子たちにボコボコにされた。殴る蹴るをされながら、ぼんやりと思った。なんで、世のいじめっ子たちは、これだけされて誰にも何も言わなかったのだろう? 小学生の時の私もそうだ、なぜ言わなかったのだろう? と。

そうだ、と私は思った。言わなかったから、地獄が続いたのだ。だったら、「言ってしまえば」いい。告げ口したらいじめっ子たちは殴ってきたということは、いじめっ子たちは知られたくないのだ。彼らが嫌なことは、「報告されること」なのだ!

もちろん、バレたらボコボコにされるだろうが、私は4度もいじめられてボコボコにされて、傷もすぐ回復する体だ。自分の体なんてどうでもいいから、今までやったことがない事をやってみよう!と思い立った。

というわけで、私は先生に全部報告した。

翌日、またボコボコにされ、それを先生に報告した。またボコボコにされる。先生に報告する。またボコボコにされる。先生に報告する。またボコボコにされる。先生に報告する。またボコボコにされる。先生に報告する。またボコボコにされる。先生に報告する。またボコボコにされる。先生に報告する。

私はこれを愚直にも、ずうっと絶え間なくやり続けた。

地獄には間違いなかったが、今までよりずっと痛快だ。前に進んでいる感じがあった。もちろん、これは協力してくれる大人が偶然いたからできた事で、私は幸運だったと思わざるを得ない。

そのうち、休憩時間だけではなく、昼休みも襲われるようになった。さすがに昼休みは長すぎる。教室で仲良くなった友達は(いじめっ子には内緒で)作り始めていたが、彼らに迷惑をかけたくないので、事情を話して昼休みは一人っきりで、校舎を隠れて飯を食い、まるで戦争中に敵に隠れながら飯を食う傭兵のようにウロウロしていた。

これはこれで面白いけれど、数日したらすぐに疲れてきた。やっぱり、安心感が欲しい。そこで先生に相談して、もっと安心できる環境が欲しいと話した。そこで、職員室に来ていいと言ってもらえた。

その時には、私が校舎の至る所でいじめを受けていることは教師全員に知れ渡っており、皆協力的で、私が職員室に入ってくるとすぐ心配してくれて、訪問を喜んでくれた。私は見つかったらすぐに職員室に駆け込むようにして、見つからなくても、安心感が欲しい時は職員室前の廊下でウロウロするようになった。

さすがのあいつらも、先生たちが相手では分が悪いらしい。本当に襲ってこなかった。次の日から、私は職員室周辺限定で安全地帯をGETし、束の間の安らぎを手に入れることに成功したのである。

いじめ逆転劇! 勉強作戦、実行す

そしてついに、最初の中間テストが来た。中間テスト期間は、おそらく我が人生で最も気合を入れた期間だった。国語、英語、理科、社会、数学。この5科目が今回全力で挑むエネミーたちだ。必死で経験値を貯めてレベルアップして、私はこれらに全力で、それこそ魂を叩き込んだ。

結果発表の日、私は震えて朝を迎えた。これは誇張ではなく、緊張で体が震えっぱなしだった。これで人生が変わるだろうか? 負け犬ポジションが変わるだろうか? あのいじめっ子ヤンキーたちに、太刀打ちできるだろうか?

そして、結果は次のとおりだった。

国語、100点。
英語、98点。
理科、98点。
社会、97点。
数学、85点。

これは、今後もこの点数を人生で叩き出すことは難しいかもしれない、と思えるくらいの好成績だった。(やっぱり数学は苦手である)また、記憶を頼りにしている部分もあるので、多少の誤差はお許し願いたい。数学以外90点以上をキープしたのは、間違いない事実である。

これは、「小学校時代はろくに勉強できない変な子だった」という噂話を一気に打ち消す大事件になったと思う。クラス中の人間がドヨドヨと騒ぎ、私は誇らしい気分になった。人生で、こんなに嬉しくて、自分がみんなより上なんだ!とちょっとでも思えることは、他に無かったからだ。

そこからは、風向きが変わった。

まず、クラスの頭がいい部類の子たちが、話しかけてくれるようになった。これはとても嬉しかったし、今後の私の人生も大きく変えている。頭が良い…というか、テストの点数が取れる子は、総じて頭の回転が速く、何より先を見る力が素晴らしい。

推測する力が高く、想像力が豊かなので、話していて誰の悪口も出ず、ずっと楽しかった。悪口を放つことがいかにコストが悪く、結果的に自分の首を絞める事を、よく分かっているのだ。

今まで、私の周りにいた子は、友達だったとはいえ、愚痴が多く、悪口ばかりで、話す内容も暗いことばかりだった。悩み関係は話すべきだと思って話していたけれど、しかし教室のクラスメートの嫌な所ばかり話すのは、どうにも私には合っていなかった。

思えば、そういう子は「自分と同じ頭の低いレベル」に集まりがちかもしれない。私も、そう思われていたから引き寄せてしまっていた部分はあったと思う。(もちろん、彼女たち自身に罪はないのだが…)

自分の努力で勝ち得た環境だ。私は、大いに楽しむ事にした。逆に、悪口や愚痴を言いまくっていた友達は元友達となり、自然と離れていった。

教室の多くの良き友達を得られた事で、いじめっ子たちの追撃は少し収まった。しかし完全に収束はせず、逆にテストで好成績を取った事で、もう一人いじめっ子が男子の中から誕生してしまった。厄介な事だ。とはいえ、この男子はちょっとした罵倒程度なので、今までのいじめに比べたら天国である。ひとまず、彼は些細ないじめなので割愛しよう。

ちなみに、頭が良く質の良い友達たちは、本当に優しく、共感性も高かった。私がいじめられていることは教室中が知っているくらい公然なことであり、とても心配してくれた。しかし、いじめっ子たちに刃向かうとどんな目に遭うかは私の例を見れば歴然であり、そのため私を守ることは期待できなかったし、私も望んでいなかった。

いじめっ子たちは、いじめなんて容易い言葉で完結できる人間ではない。それは犯罪集団であり、狂気の産物だ。とても素敵な友達を彼らの毒牙にかけられることだけは、何としても避けたかったのである。

訪れた転機

少し平穏が続いた、夏休みが終わった日。転機が訪れた。体育が終わり、教室で女子のみで着替えをしていた時だ。

私は突然いじめっ子たちに教室の真ん中に引き摺り出され、4人がかりで殴る蹴るの暴行を受けた。

結構、大胆だった。ここまで派手に教室の真ん中で繰り広げることは、今までに無かった。彼女らは笑いながら、私をボロ雑巾のように玩具にした。周りで着替えている友達たちを見た。みんな、震えて押し黙っている。怖がって何もできない。そりゃそうだ、と思った。同時に、世界は狂ってるなぁ、と思った。

そして何度か殴られているうちに、私の中でまた、あの時のように、何かがポキッと折れた音がした。

私の口から、声が出た。

低く、恐ろしい唸り声が出た。

「ふざけんじゃねえぞ」

その一言で、私は油断していた3人を振り切り、リーダー格のいじめっ子の頭を思いっきり平手で殴りつけた。

今まで、何も抵抗してこなかったいじめ対象が、突然反抗してきたのだ。想定外の攻撃に、怯む色がリーダーの顔に見えた。それだけで、私は十分だった。しかし、4人vs1人では多勢に無勢だ。あっという間に畳み掛けられ、椅子で殴られ、転ばされ、私は押さえつけられて殴られまくった。

「あっ、大勢って強いんだな! 無理だわコレ!」って、その時の私は冷静に理解したのだった。一人で大勢をやっつけるなんて出来事は、漫画の中だけの夢に過ぎなかった。

「あなたたち、何やってるの!」

殴られていた私は、ぼんやりとそんな声を聞いた。先生の声だ。その声を聞いて、蜘蛛の子を散らすように、いじめっ子たちは急いで退散した。

その放課後、先生に事情聴取をされた私は、泣いた。何だか初めて、よく分からないけれど、泣いた。それは、逆襲できた嬉しさなのか、いじめられて悲しかったのか、よく分からない涙だった。

これは職員室会議にも発展したらしく、ようやく大きく事が動いた。いじめっ子たちにも事情聴取がなされ、「いじめはもうしないように」という当たり前なことを、どうやら約束されたようだ。

ようやく、私は解放された。

いじめを生き抜いて

最後の事件の後、私は父の転勤が決まり、岐阜の中学に転校していった。はっきり言って、この中学は天国としか言いようがないくらい最高な場所で、今までいじめられ続けていた事が奇跡なくらいに、ひとつもいじめられることはなかった。

4度もいじめられ続けていた私が、なぜ、突然いじめられなくなったのだろうか? いじめの対策とは、何だろうか? 最後に、その分析で紐解いて、このお話を終えようと思う。

いじめられていた原因と対策は、いくつか存在している。

  • 出る杭はいじめられる

  • 自分より下のものは粗雑に扱って良いと感じる人が一定数いる

  • 孤立する

  • 何も抵抗しない、反撃しない

  • 環境ガチャ

◆出る杭はいじめられる

自分の理解の範疇から外れた存在に、人は容赦しない傾向がある。これは、差別などでもいえることだが、とにかく多様性に対して許容しきれない。私は、子どもの頃、変わった人間であったのは確かだ。40過ぎて振り返っても、それは自覚できるくらい変だった。具体的には、

  • 女の子なのに男の子の趣味ばかり好き

  • オタクは嫌われると分かっているのに、オタクである事を隠さない

  • 給食をめちゃくちゃよく食べる

  • 休み時間にノートに自作の漫画を描いている

  • 一人で机で小説を読んでいる

  • 物をよく忘れる

  • 喋っている事が頼りなくてピンボケしている

などだ。これは、今の子には普通のことだろうし、特段変わっている判定はしにくいかもしれないが、当時は理解されない風潮が強かった。「普通の子とは違う」=「変わっている」=「叩いてもいい」という感じで、人間扱いされにくくなる傾向はあるように思う。対して、岐阜の中学校はとにかく個性的な生徒だらけで、その個性を尊重する向きがあったため、変わっている子はそれでいいじゃない、で受け入れられたような気はしている。

その子が問題なのではない、個性なのだと思う。よほど周りに迷惑をかけているならともかくとして、そうではないなら、そっとしておいてほしいなあ…と、変わっている側の私は強く願うのだ。

◆自分より下のものは粗雑に扱って良いと感じる人が一定数いる

これは、学業レベルや知能発達レベルの差で出てきていると思う。実際、私はテストができない頭の悪い子という烙印を押されて、そこからいじめが発生しやすかった傾向はあった。知能発達は難しいかもしれないが、勉強はある程度は努力で何とかなる部分が多い事がわかったので、頑張れる人は頑張ってほしい。私は天才などではなく、IQは本当に人並みでしかないのだ。凡人でも90点が取れるのは、学校しかない。

◆孤立する

これは私の体験記を見れば歴然としているが、誰にも話さず孤立する事をいじめっ子は心から望んでいる。彼らは、こちらを支配して、コントロールしたがっているからだ。彼らだって、管理コストが楽な方が何かと都合が良いのである。しかし、第三者が入るとコントロールできなくなる。まずは孤立無援からおさらばする事が肝要だ。

私の場合は親や、先生が味方になってくれたが、もしなってくれない場合は、他の所へもアプローチしてみよう。友達、別の大人、教育委員会、市の教育課、なんでもいい。今はもう、色んな所に相談できる時代だ。信頼がおけると思う所に話していこう。

◆何も抵抗しない、反撃しない

これも管理コストを楽にする原因の一つで、何もされなければコントロールが楽になる。もちろん、刃物など命に関わるものを相手が持っていた場合は、無理に反撃する必要はない。私は反撃したが、やっぱり相手が武器を持っていないかの確認はした上で反撃している。こちらに致命傷が来たら、本末転倒だ。ひとまずやり過ごして、第三者に報告しよう。報告は暴力を伴わない形での反撃に繋がるからだ。

◆環境ガチャ

これはもう、あまり言いたくないが、どうしようもない部分であり、現実でもある。私も、いじめられた学校がもし岐阜の中学校であれば、テストの成績が悪かったとしてもこんな大惨事にはなっていなかったと思うからだ。上の対策を色々講じた上でそれでもダメだったら、自分でどうにかするしかない。そしてこの対策は、自分で考えていくしかない事でもある。

はっきり言っていじめは名前が軽く見せられているだけで、内容は暴行罪、強要罪、恐喝罪なので、普通に通報して良いと個人的には思っている。もちろん、現在有効なのかは私は専門家ではないので分からないが、警察は別に怖い所ではなく、市民を守る立場の人たちなので、相談をしに行って良いと思うし、調書を作ってもらうだけでも良い。特に調書は次にもし事件が起きた際に、スムーズに事が運ぶプロセスにもなりやすい。どんどん大事にしていこう。わざと大事にして、孤立しない事が大きな鍵だ。

今でも、いじめ問題が後を経たない。30年前のいじめとどのような違いがあるのか、私にはよく分からないけれど、もし今、いじめに遭っている子がこれを読んでいるのであれば、私は直接助けることは恐らく、できない。ご相談は受け付けることは一切できかねるので、あらかじめご了承願いたい。

でも、これを読んで、もし何か感じることや、新しく思いつく事があれば、それを大切にしてほしい。大切なのは、誰かに知らせる事だ。

君にご武運を。Good luck!

そしてどうか、いじめという理不尽な世界のなくなる未来が来ますように。


おわり


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ゆずみっく
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