介護士から見た後悔のない生き方とは
どうも、ゆずです。
私は介護施設で働いていて、10年近くになります。
利用者が亡くなった現場を30人くらいは見ました。
私なりのいいと思う看取りの仕方、悪い看取りの仕方、感じたことについてお話したいと思います。
そもそも看取りとはと言うと
食事が食べれなくなった時、どの場所でどういった形で亡くなっていきたいのかです。
どの場所でとなると
⒈施設で看取りたい
延命な処置つまり点滴などの医療処置はせず、施設のできる範囲で自然な形で看取りたいということが基本方針です。
施設によってどこまでできるかも変わります。
⒉病院で看取りたい
延命な処置をしつつ、最後を看取りたいということです。
点滴、胃ろう(口から食べるのでなく他の場所から食べるということ)をしますということです。
⒊自宅で看取りたい
最後は家族の中で看取りたいと希望するということです。
介護士は利用者の家族様の意向にのっとることが多いです。
利用者は認知症で判断ができなくなってしまうことが多いからです。
私がいつもここで思うことは
利用者の意見や考えも含まれてますか?
自分とっての最後は利用者にとっては自分で考えて結論だしたいですよね?
意見を反映させていくことは難しいかもしれません。
誰も認知症になるとは思ってないし、先のことまで見据えていることは少ないからです。
介護士的には家族と本人の意見があったらいい看取りかなと思います。
家族の一方的な看取りはどうなのかなと考えます。
延命するということは本人が苦しくて、痛がる時間がその分長くなってより苦しい思いをさせることになります。
延命をしないということは痛いなどの苦痛が少なく、限りない時間でしか会えないということです。
当事者の気持ちになって真剣に考えてほしいです。
ここまで言うのは施設の利用者で家族様に振り回され、利用者がおそらく思ってはいなかった最後を看取られるケースをみたことがあったからです。
私はエンディングノートを作ることをオススメします。
自分にとってどうしてほしいかというものがあればそれに沿って動きやすいからです。
自分の最後って人に決められたくないと私は思います。
自分の生き方に舵をとって後悔のない人生でいたいからです。
なかなか難しいけど頑張る価値は十分あるかと思います。
利用者の家族だってどうしていいか分からず一方的な要望になってるかもしれません。
そういうものあればこう思っていたんだとはっとする事があるかと思います。
後悔のないように介護をし続けるためにどうしたらいいか私なりに考えた意見でした。