フィンランドのカフェの話:インフォーマルパブリック
先日まで、日本から姉がフィンランドに遊びにきてくれていた。姉はフィンランドで何かしたいことがあったわけではないらしく、しかも私は夏の間は週5日で働いていたので案内することもできなかった。姉は観光地もあまり関心がないようだったので楽しめているか心配していたけど、そんな心配をよそに、姉はすごくフィンランドで過ごした1週間がとても楽しかったらしい。本当に街をただブラブラして、目についたお店に入り、疲れたらカフェで休憩して、また歩いて、カフェで休憩して、を繰り返していたらしい。
「フィンランドはカフェがたくさんあるし、どこも本当に居心地が良いから何か特別なことをしなくてもリラックスできる」
と言っていた。
フィンランドは本当にカフェがたくさんあって、しかもどこも大概は席があいている。日本のようにカフェ難民になるということはまずない。入りたい時に入れて、好きなだけカフェで過ごす、ということが当たり前にできる。
カフェ文化が根付いているのはフィンランドに限ったことではないと思うが、フィンランドはベストシーズンのヘルシンキ中央部であってもこの調子なので、一年中、どこでものんびりしたカフェ時間を楽しめる。
留学生としてフィンランドにやってきて、私はフィンランドのカフェの居心地の良さにすごく救われたので、姉が同じようにカフェが一番良いと言ったのがよく分かった。私は学生寮に入居できずアパートを借りて一人で住んでいるので、授業がない日は本当に人に会う機会が少なかった。特に暗くて寒い冬は一人でいると気が滅入ってしまうので、そんな時はカフェに行くと、特に誰かと話すわけではなくても一人ではない感覚が得られた。
日本のカフェは大抵どこも混んでいるので、あんまりゆっくりすると後の人に悪いな、と思ってしまいゆっくりできないことも多かったように思う。いつでもふらっと入れて、他の人の席を心配してせかせかする必要がないということが、こんなに心理的にも居心地が良いのかということに驚いた。
先日、飯田美樹さんの著書、「インフォーマル・パブリック・ライフ」を読んだときに、まさに自分が感じていたことが言語化されているように感じた。インフォーマル・パブリック・ライフとは、肩書きや社会のコードから一旦離れ、リラックスし、自分らしくいられる場のことであり、カフェだけに限らず、公園であったり広場であったり道端のベンチであったりする。こうしたインフォーマル・パブリック・ライフが街に多様な形で存在することが、心地よい街づくりに不可欠、ということだそうだ。
家庭を第一の場、学校や職場を第二の場とするなら、インフォーマル・パブリックは第三の場にあたり、何かに所属していなくても誰もが平等に簡単にアクセスできる場であり、アクセスの障壁がないことから、誰も疎外感を感じることがない。この開かれた雰囲気が街を心地よく魅力的にするのだそう。
リモートワークが日本で普及した際、家でもオフィスでもない「第三の場(サードプレイス)」の必要性は言われていたが、ここではもっと精神的な、夫妻、父母、といった家庭での役割も、学校や職場といった所属先での役割も離れ、もっとリラックスした役割をもたない素の自分でいられる場所という意味で使われているようだ。
急かされないどころか、フィンランドのカフェではコーヒーのおかわりは自由である場合も多い。それでも日本と違うのは、パソコンでひたすらに作業している人はあまり多くないということかと思う。ただ何か飲んでいたり、お喋りを楽しんでいる人が多くて、誰かといるのにスマホをずっと見ている人もあまりいない。いつでも入れるという気軽さがそうさせるのかもしれない。
空間の心地よさだけでなく、フィンランドのカフェはサービスも良いと思う。私自身はフィンランドのサービスで嫌な思いをしたことがない。とてもフレンドリーな接客だと思う。フィンランドではミルクをオーツミルクに変更するのも無料で、コーヒーを頼むと必ずどちらにするか聞いてくれる。動物性の食品をとらない人も多いそうで、こうした配慮が行き届いているのも良いなと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?