障がい者として生きる適切な感覚と多様性について

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こんにちは、尾島雄三です。

今回は初の投稿ですが、私のパーソナルな部分でもある「障がい者」についてお話したいと思います。

障がい者として生きるというのは、どういう感覚を持つのが適切なのかについてです。


【障がい者の生きる目標は社会復帰なのか】

僕は現在24歳ですが、学生の頃に障がい者認定されて、もう結構月日が経ちました。

今は楽器店に勤めながら音楽活動をしたり、こうやって記事を書いたりして、自由に暮らしています。

そんな生活の中で、よく考えるのが、「障がい者の生きる目標は何なのか」という事についてです。

例えば、障がい者のリハビリについては、これまでに多くのメディアで報道されていますが、障がい者の最終目標はリハビリをして、一人で自立して生活できる事なのか。

もしくはその先の、健常者と同じように社会復帰する事なのか。
こういう話を聞くと、僕は結構違和感に感じます。

「本当に健常者と同じように社会復帰や一人で生活できる事が、障がい者にとって自由と言えるのか。」

これはリハビリを否定しているわけでは決してないです。

もちろん、一人で生活できないよりはできた方が良いと思いますし、社会復帰して会社に勤めても良いと思いますが、世の目標基準がそこに設定されると急に不自由に聞こえてしまうという話です。

障がい者の話をすると、このような”自立”という言葉が必ず出てきますが、障がい者にとっての自立とはどういう状態なのでしょうか。


【障がい者にとっての”真の自立”とは】

これは僕が感じているイメージですが、世間の自立という認識には

”一人で生活できるようになる”

という意味が強いと感じています。


ですが、僕が思うに障がい者の自立というのは、

「一人でも生活できるようになるというよりは、周りに助けてもらいながら、自分らしく生きていける環境を作ること」

だと思っています。

テレビで乙武洋匡さんも同じような発言をされていましたが、障がい者だからこその視点・体験というのも確実に合って、それを元に成長できれば健常者にも成し得ない成果を生むと思います。

厳密には障がいの有無は関係なのかもしれませんが、障がいを持つ人は恐らく健常者よりも自分に向き合う時間が多いので、その要素が大きな大成に繋がる事もある、という事ですね。

例えば、もし自分が健常者だったら今の自分は絶対にいないし、恐らく結婚もできていないと思います。

支えてもらう為に結婚したという事は断じてないですが、障がい者として生きてきた過程の中で形成したものすべてを僕という存在として、妻が魅力に感じてくれたのだと思っています。

僕の様な障がいを持つ人は、その”障がい者故の可能性”をしっかりと考えて、それを適切な形で大成できるような環境作りをする、というのが真の自立ではないかなと思っています。

僕も今、会社に勤めながら楽しい家庭を持って、自由に音楽を楽しみながらブログを書いています。

これが誰かの役に立つのかは分からないですが、僕にしかできない楽しい人生を送ろうと毎日暮らしています。

”自分もそうなりたい”と思ってくれる人がいるのであれば、その人とも環境を共有して、お互いに楽しい人生を築ければ本当に嬉しいと思っています。

少し固いお話でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

では、また。

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