1983年 東京ディズニーランド⑧

8.オープニング前後のディズニーランド

開園前から大きく変わったことに1つに浦安駅からパークまでの直通バスが開通したことだ。
駅を出て左に5分くらいの所にディズニーランド専用のバス発着所が出来たことだった。今までの様にバスを乗り換えることなく、オリエンタルランドに行けるので15分くらい移動が短縮できた。
東京ディズニーランドはアナハイムと比べると公共交通機関での来園が多いため、電車やバスの利便性が入場者アップへの効果が高い。今までに見たことも無いような大きな駐車場も出来たが、気軽に訪れるバスが多くなったのは便利に感じた。
ディズニーランドへの直通バスが出来たのは嬉しかったが、専用バス停までの道のりは少し遠いような気がした。
駅からバス発着所までの5分程度の歩行専用道路の脇にはテキヤが露店を開いていた。『ディズニーまんじゅう』と名付けられたミッキーマウスの顔が模されたまんじゅうが売られていた。他にもミッキーのお面などディズニーとは関係ない業者によるディズニー関連グッズが販売された。ただこれらの露店は、著作権侵害とかで早々に撤去されたのでほとんどの来場者は購入する機会は無かった。

ディズニーランドのスタッフやキャストは始めに自分のIDパスを提示してパーク敷地内に入場する。敷地内のスタッフ専用の敷地内で全ての準備を完了する。イベントキャストはこの敷地内のあるドレッシングルームで全員が専用の衣装に着替えてからパーク内に入ることになっている。この徹底した管理が、夢と現実の世界を明確に分けていた。
ただダイヤモンドホースシューのキャストだけはパーク内の建物の中に衣装が置かれているため、パーク内に自分の服で入場するしかない。
だから我々フープのキャストのパーク内への入場は、私服で入場するしかなかった。ほとんどの人に見分けがつかないような出入り口があり、そこからパーク内に入場した。チケットを買って入場したゲストと我々出演者はパーク内では見分けがつかない。
このダイヤモンドホースシューのメンバーだけの入場方法がまるで特権の様であり、意味もなく誇らしかった。顔も名前も全く知られていない現状でも、ささやかな優越感に浸ることが出来た。

開園時発売された入場券は2種類あった。1つはワンデイパスポートと言って入場だけでなくすべての乗り物に乗れるチケットである。もう1つは入場するだけのチケットであった。多くの人は高額なワンデイパスポートではなく、入場券だけを買って入場できる。乗り物を楽しむ時は二百円券や三百円券などの乗り物によって金額の違う券をパーク内にあるチケット販売ブースで購入できる。
僕はこのシステムを有効活用した。
自分の出番より早めにパーク内に入り、乗りたい乗り物のチケットを購入して、パーク内の乗り物を楽しんだ。そんなに出番は無かったけれど早めに入場しては私服のまま一つ二つの乗り物を楽しんだ。
ビッグサンダーマウンテンは三回ほど楽しんだ。多少は並ばなければならなかったが、10分も待てば乗ることは出来た。

OLCは多額の謝金をして東京ディズニーランドを作ったとかで倒産するのは時間の問題では無いかと多くの人々が噂していた。
それにしても全国からは毎日、大勢のゲストが訪れていた。
フープは広間のカンカンダンスショーと併せて連日満席の状態であった。
それで当初のフープの開催日も増えることになり僕の出番も増えることになった。 

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