見出し画像

2000字で紡ぐ物語 (13) [じいちゃんの眼鏡]

  じいちゃんの目鏡

 遠くで救急車のサイレンの音がしていた。何だろう、交通事故でもあったのか、と思った。だが音が大きくなって車が近づいて来てじいちゃんの家の前に止まった。ビックリして飛び出すと救急隊員の人がストレッチャーを引き出していた。
車の横をすり抜けて玄関へ飛び込むとおばあちゃんとおばちゃんが震えながらじいちゃんに顔を近づけて、確りして、と呼び掛け続けていた。隊員さんは二人が力を合わせてじいちゃんを抱え込むようにして運び込んだストレッチャーに静かに寝かせると安全を確認して、じいちゃんに声を掛けた。じいちゃんは上を見ているようだったけれどうなずきもしなかった。ただ横たわっていた。大丈夫、大丈夫と心の中で繰り返しながら立ちすくんでいた。おばあちゃんは隊員の人にうながされて車へ乗り込んだ。間髪を入れずエンジン音が高鳴ってサイレンを響かせて発車した。涙顔のおばさんが車の後を見やりながら手を握りしめて小刻みに震えていた。じいちゃんは気分でも悪かったの、と聞くとつまりながら、
「じいちゃんは部屋で本を読んでいたの、おばあちゃんと食事の片付けをしてテレビを見ていると、どた、と音がしたので、音のした方へ行くとじいちゃんが椅子から転げ落ちていたの、声を掛けても返事がなかったので、119番した、ご飯の時は好物のお魚でお酒を一杯飲んで上機嫌になり、読みかけの本を読んでいたの、ああ病院へ行かなくちゃ、ママに知らせてね,と言って家に走り込んだ。ボクも家に帰ってパートに出ていたママに電話を入れた。
 
 大好きなじいちゃんの具合が気になって心臓がドキドキしてじっとしておれなかった。病院へ向かったおばさんに着いたら直ぐに様子を知らせて、とお願いして待っていた。
 すると病院へ着くか着かないかに涙でかすれかすれになった声で、あえぎながらじいちゃんが亡くなった、と伝えてきた。体が強ばって、歯を噛みしめ、手を握りしめて目をつぶってじっとしていた。
玄関が勢いよく開いてママが息を切らせてボクの前に立っていた。亡くなったと伝えるとどさっと座り、口をつぐみ、俯いて目頭を押さえて黙っていたかと思うと、声を上げておいおいと泣き出した。ボクの胸も詰まって涙が溢れて止まらなかった。
 
病院に着くとおばあちゃんとおばちゃんがじいちゃんのベッドの横で時間が止まってしまったかのようにじっと突っ立っていた。
ボクとママは二人に飛びつき抱きあって泣いた。じいちゃんはもう何も言ってくれなかった。
「あの本はもう読んだか」といつもボクに言っていた言葉はもう聞けない。
 
 おじいちゃんは八十七才で友人も殆ど亡くなっていた。お葬式は家族だけの内輪なものになった。参列者は母と兄と弟と妹とおばちゃん、後はおばあちゃんと孫達だった。葬儀場の家族用の部屋に集まり、じいちゃんの傍らに座っていると揺れるローソクの炎に線香の香りが合わさった空気に包まれて静かに横たわるおじいちゃんを一層身近に感じた。記憶の糸をたぐり、だれ言うともなく思い出を語り始めていた。ボクはじいちゃんの家で一緒に暮らした事はないけれど向かいの家に住んでいるのでじいちゃんと一緒に暮らしているのも同然だった。
 ボクの生まれた時にはもう八十が近かった。ボクが遊びに行くといつも六畳の間で本を読んでいた。本棚は隙間もないほど一杯で溢れた本が床や机の上に積まれていた。
おばあちゃんは
「もう年だから整理して部屋をきれいにしましょう」とボクの耳にもタコができるほどじいちゃんに言っていた。でもおじいちゃんは一向に話を聞き入れなかった。しかし最近本が増えないように「本は図書館で借りてきて」頼まれてしぶしぶ従うようになっていた。
そんな毎日の暮らしの中で突然読書中に本の中に倒れ込んで亡くなってしまった。本の国へ行ってしまったのだろうか。いくら本が好きでも家族よりも本が好きだと言うことはあり得ない。じいちゃんはボクたちみんなが大好きだったから。
 
 おじいちゃんを棺に納めてお別れの時お布団を掛けるように全身を花で包んだ。大好きだったお饅頭もケーキも一緒に入れてあげた。みんなが選んでじいちゃんの好きだった本も入れた。ボクはいつも読み聞かせてくれていた絵本と童話を入れた。おばあちゃんはおじいちゃんがとても大事にしていた分厚い字引を困らないように顔の横に置いてあげていた。ボクはおじいちゃんの老眼鏡のガラスに汚れが残らないようにきれいに拭き取って、おじいちゃん、と声を掛けて字引の上に置いた。そしてふたが閉められた。
 
 天国にいってしまったじいちゃんと一緒に字引も眼鏡もボクにはもう見えなかった。
 じいちゃんは天国へ行って、きっと眼鏡を掛けて本を読みながら字引を繰っているだろう。おばあちゃんやボクの声もきっと届いているだろう。

いいなと思ったら応援しよう!