一人ではではない
2000字で紡ぐ物語 ❻
一人ではない
冬の海辺のヤシの防風林、波が打ち返す砂浜、それに続く防波堤、さらに長くのびた突堤も人影はまばらだった。
苦しくなって海面に顔を出した。護岸の大きな捨て石の水際に黒いかたまりがポカッと現れて消えた。一瞬仲間の鵜が帰って来た、と思ったが、自分の何倍もある鵜などいない。恐ろしさが波紋のように広がって、小さなハートがギシギシとうずいた。お母さんはどこへ行ってしまったの。みんなはどうしているの。もう十分大きくなっているからって魚を追い掛けて、生きていけるけれど、多くの仲間や家族と一緒に暮らしたい。
群れ飛ぶカモメを見ていると羨ましくてたまらない。気が滅入ってくちばしを垂れていると、又大きな黒いものがポカッと頭を出して空を仰いだ、と思うと水中にかくれた。一体何ものなのだ。勇気をふるって水中をぐいぐいと泳いで近づくと黒いウエットスーツのシュノーケルを着けた人間が岩のすき間に手を入れて魚や貝を探り出そうとしていた。私には水の冷たさは気にならないけれど人間はどうなのだろう。寒風の海辺は人影もまばらで防寒着に身を包んだ釣り人やウォーキングの人が少しいるだけの真冬日なのに。私はここで餌をとらないと生きていけない。人間はこの冷たい海で魚をとらなくても死んだりはしないはずだ。それでも潜っている。どうしてだろう。私にはわからない。私は人間に成れないし、人間も鵜に成れない。人は人であるべきだ。自然にそった生き方がいい。するとどこかから、
「そうだ、そうだ」と言う声が聞こえてきたような気がした。空耳ではなかった。岩影にじっと潜んでいた魚が人間の手が急に顔前をよぎったので飛び出し、逃げながら発した言葉だった。動転していたのか、そばにいる私にも気付かず一目散に泳ぎ抜けて去った。目の前を通り過ぎるご馳走を呆気にとられて取り逃がした。自分も魚と同じに、人間がこの寒い海中でしていることを間近に見て、説明の付かない大きな不安が心をよぎり、自慢の瞬発力も沈黙して動けなかった。思わず水から飛び出し、数十メートル水面をかすめるように滑空して、着水した。
見上げると寒風の中親子で釣り糸を垂れていた。
「お父さん、あの鳥は」
「あれは鵜だ」
「それって、飼で鵜匠が魚をとらしている鵜と同じなの」
「よくは知らないけれど、同じだろう」
「それよりあの鵜は、きっと来島海峡大橋の向こうの島から来たのではないかな、来島海峡に村上水軍の本拠地があったのを知っているだろう、歴史で習う金閣寺で有名な室町幕府第三代将軍足利義満が村上水軍の大将につがいの鵜を与えたといわれている」
「へえそうなの、でもどうして一羽なのかな」
「鵜にも色々なのがいるだろう、とんまも、のろまも、いやしんぼうも、恐らく親にはぐれて帰る所がわからないのさ」
「そうなのかも知れないね」そこで親子の話は途切れた。何か凄く馬鹿にされたように思ったが、よく考えてみると、うなずくことばかりだった。やっと親に付いて飛べるようになってここまで来て、慣れない下手なやり方で魚を追い掛けている内にみんなが次の餌場へ行ってしまったのも気付かなかった。なんとか餌にありついて波に身を揺られながら辺りを見回すと、自分一人がぽつんと漂っていた。間抜けだった。今の会話に「島から来た」と言う言葉があったぞ、まだ成鳥になっていないから長い距離を飛べない、きっと近くの島からここへ来たに違いない、と気付くと、とっさに足をばたつかせて方向も定めず飛び立っていた。
空へ舞い上がって少し落着くと、先ず始めに大きな橋の架かった、一番近い島を目指すことにした。出来る限り高く舞い上がって、一気に島へ向かって高度を下げて島全体を隈無く見渡してみたけれどはどこにも見当たらなかった。
渚近くでカモメが忙しく飛び交っているばかりだった。仕方なく再び翼に力を入れて橋の上空を超えて大きな島へ出た。海岸に沿って岩場や岸辺をよく見ながら低空で飛んだ。日本三大潮流の来島海峡の流れは速く、ところどころで大きな渦を巻き、潜りの名手の鵜でも餌は獲れそうもなかった。それでもあきらめずに島を半周すると二つ島が現れた。もしかして、と思い、大きい島へ向けて茂みや草原、そして渚周りを入念に探したけれど仲間はいなかった。だんだんと気が滅入って来たが、思い直して大きく深呼吸をして肺を膨らませ、足を蹴り上げ、羽根を一杯に広げて風をつかんだ。体はあっという間に空に舞って次の島の木立が見えた。目をこらすと枝の葉影に二十羽ほどの鵜が身を寄せ合っていた。島へ羽根をすぼめてつるを離れた矢の勢いで降りた。お母さんもお父さんも仲間もみんなそこにいた。
もう一人ではなかった。
離ればなれの淋しさを知って、以前にも増して家族の温もりを覚えた。