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"時間列車"

2000字で紡ぐ物語

 

人生に終わりが来るなんて考えもしなかった。 時間は限りなく続くと思っていた。 最近時間の崩れて行く音が、ガラガラと大きく聞こえ始めた。一方自由な時間は使い切れないで溢れるようになってきた。時間をせき止める手段はない。では消え行く時間をどうすれば、と思案している時ふらっと出かけた図書館の魅力にはまってしまった。 そこは物語やあらゆる国々の知識や文化の果実がぎっしり詰まった楽園だった。次々と借り出して読みふけった。周りから今更手遅れだからいい加減にすれば、と言われている。今夜も本を読み始めると時間を忘れてしまった。目を休めようと本を閉じて時計を見ると既に一時を回っていた。自分の就寝時間はとっくに過ぎていた。仕方なくあきらめて寝ることにした。 ベッドにもぐりこむと電気毛布は冷えて縮んだ身体を包み込みゆっくりとほぐしてくれた。少し丸まってじっとしていて手足を徐々に伸ばし寝心地のよい体勢になろうと転々とした。しかしいつも通りの向きに落ち着いた。手を大きく後ろに伸ばしスイッチを探ってスタンドの電気を消した。暗くなるとこうこうと月の光りが射し込んでいた。晴れ渡った空には妖しい輝を放つ月を背にして手を伸ばせば届きそうな位置にひと群れの雲が漂っていた。地上ではわからないけれど上空で風が渡っているのだろう、雲は急に変化し、立て髪をなびかせて疾駆する馬のように見えたかと思うと次は定かではない形になって束の間に崩れ果て風と雲の競演はあっという間に終った。月光は寒空を突き抜けて寝室を占領し、眠気を追い払ってしまった。 寝返りを打って体の向きを変えても部屋に満ちた月光は陰ることはなかった。一度過ぎてしまった眠気は目を閉じていても一向に戻らなかった。 雲を吹き払われた夜空は晴れ渡り、月は妖しいほど輝いていた。目は益々冴えて眠ろうとすればする程眠りは遠のいていった。しばらく寝るのをあきらめて空を見上げていると月の光に誘われて知らぬ間に夜空に昇り、夢遊空間に迷い込んでしまっていた。部屋もベッドも消え失せて月光と星々の散らばる夜空の真っ只中にひとり漂っていた。眠りが戻ってきたのだった。

 まるで溺れかけた人が空気を吸い込もうと必死で水面へ顔をだしたように大きく口を開け必死で息をしながら、自転車を漕いでいた。何処へ向かっているのか、何かに追っかけられているのか、わからない。突然松林と海が広がっていた。無意識に海へ向かっていたのだった。そこは雲ひとつない青空と松林が続く穏やかな砂浜だった。
 小さく打寄せる波がザブっと砂に砕け、スッっと白い砂に吸い込まれる繰り返しの音がするだけで人の声も船足の響きも聴こえなかった。奇妙なほど静かな昼下がりだった。
昼間なのに人の気配はまるでなかった。それでも目をこらすと遠くに釣り人がいた。
空と大地と海の間に自分以外誰もいない砂浜にドスンと座り込んで両手を大きく背伸びするように突き上げて後ろへ倒れて仰向になった。すると突然視界から周りの風景が消え失せて満天の蒼空が覆いかぶさるように広がった。真昼に夢を見たわけではない。不思議だが、一瞬蒼空に浮かんでいる錯覚に襲われた。
どうして一人でここへ来たのだろう。 
 友人も大勢いるし、何ひとつ不安もない日常なのにどうして一人に なりたいのだろう。
 突然友人の事故死を母に知らされて、その驚きで頭が真っ白になって思わず飛び出して来たのだ。涙が溢れ、淋しさが頭の中を占領して何も考えられなかった・・・友の顔が浮かんで、ぼやけ又現れて・・・教室でふざけ合っていた・・・笑顔が近づいて立ち上がりかけると友は居なく・・国語の先生が立っていた。どうしたのだ、と思って瞬きすると先生の目に会った。先生は私を指差して詩を暗唱しなさい、と言った・・・一体誰の、戸惑っていると・・かすかなつぶやきが聞こえて来た・・・僕の 前に、 道はない 僕のうしろに道はできる・・・聞こえるままの言葉を自分の心臓の音が響く程真っ白くなっている頭の中で繰り返しふるえる声で、僕の前に 道はない 僕のうしろに道はできる、と暗唱を始めた・・誰の声が聴こえたのか・・・

 朝ごはんですよ、と下からの呼びかけで目覚めた。途端に夢の時間は飛び去って84才 の朝が来ていた。
 必死でつぶやいていた詩は・・ええ~・・と・・あれは・・・口に出かかりながらはっきりしない、ええ~と・・あっそうだ、高村光太郎 の道程だ、とやっと思いだした。
 
 友はずっと私と一緒に時間列車に乗って終着駅に向かっていたのだ。



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