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「運命は変えられる」、春児の言葉から思う「蒼穹の昴」に学んだ「正解がわからなくとも向き合い続ける」力の重要性

皆様、いかがお過ごしでしょうか。間もなく2021年が終わろうとしていますが、それぞれが忙しく日々を過ごしているものと存じます。僕ら自身も今現在は慌ただしい日々の中におりまして、もうすぐ年末が始まるのかという感情が湧いてきました。

形はどうであれ、生き抜くということの意味を最近より強く感じるようになりました。そして物事は急に変わることはなく、段階を踏んで実行プロセスを着実にやっていく過程でしか変わることは出来ない。そんなことを考えた時に思い浮かんだ文学作品があります。コロナ禍における現代だからこそ読むべきかもしれません。

今回紹介したいと考えたのは中国の清王朝末期末期を描いた、浅田次郎さんの蒼穹の昴シリーズの第1弾。まさに「蒼穹の昴」です。先週、最終回を迎えた渋沢栄一を主人公とした大河ドラマ「青天を衝け」でも描かれている明治時代と同じ時代に当たります。「青天を衝け」でも描かれている、正しく我々日本から見た中国大陸と、我々日本から見た世界。

対して浅田次郎さんの「蒼穹の昴」では、清王朝ならびに中国大陸から見た世界や日本が描かれています。日本と中国の視点を相対化しながら見ていくとそれぞれの国々が抱えていた思惑や、変える段階において一体何が必要なのか。そして帰るためにはどのような順序で物事を進めていけばいいのか。帰る場合には、どのような対案を持って代替手段としていくのか。そこまで踏み込まなければならないことを教えてもくれています。

2010年にはドラマ化もされまして、西太后役を田中裕子さんが演じられて、日本人記者であり、元会津藩士だった岡圭之介を現NHKキャスターの桑子真帆ちゃんの旦那さんである小澤征悦さんが演じられたりと日中合作の作品ということで見やすい形に作られているように個人的にも感じました。

変わって欲しいだったり変えたいと思っている人達にも切実な事情や、どうしても守りたいものがあったりする。確かに既得権益だとか、そうしたどうしようもない理由もあったりもするでしょう。しかし、その結果として守られているものもある。

始まりは貧乏な家の出の李春児と、富豪の放蕩息子である梁文秀。2人の主人公が北京の紫禁城へと上るところから始まります。前者は宦官になり、後者は科挙に受かって有力官僚となります。やがて2人は西太后率いる旧法派と光緒帝率いる新法派へと分裂して、激烈な政治闘争を繰り広げることとなります。そこへ欧米列強と我々日本がその権力闘争の行方を見守りながらも、領土拡張のために狙ってきているという抜き差しならない状況下になります。

この当時の中国王朝というのはご存知の方もいらっしゃると思いますけれども、頂点に君臨する皇帝がいて、自身の妻となる正妻とその周りにいる側室だとか下女がいて、それらを何千人も後宮と呼ばれる別宮に押し込めて、その世話をする宦官たちがいる。表では各派閥の官僚がいて、外にはその命令を実行する役人がいる。その役人や官僚を登用するシステムとして科挙制度が隋王朝の時代から駆動している。租税の徴収も農作物と塩を中心とした農本主義のシステムが完成している。つまり、イギリスを中心とした西洋諸国は今までは何もかもに自分たちに大差を付けていた中国大陸に対抗する力を産業革命によって身に付けて「農本主義」における社会の最大の課題であったスケールメリットという弱点を見事に克服するための手段を手にしました。つまり、徴税方法は農作物や塩ではなく、産業の結果による帳簿から徴収するという方法へと切り替えることが可能となりました。

中国大陸の場合、西欧諸国のように産業革命の結果、大量生産が可能になって、最少人数で生産が出来て、今までの農本主義のシステム上で起用する人が少なくなるとしたら今までは農作物による徴税で利益を得ていた地主層の既得権益を徹底的に破壊し尽くすことにも繋がってきます。だからこそ、清王朝は日本同様にこうした海外の革新に目を瞑り続けてしまった。その結果としてアヘン戦争に始まり、アロー号事件、キリスト教勢力を中心とした太平天国の反乱と国内は混乱の渦へと巻き込まれます。そして、西欧諸国・アメリカ大陸に次々と領土を侵食されていく。

しかし、中国大陸のように長い時間をかけて既に完成し切ったシステムを変えるのは膨大なエネルギー、とんでもない量の代替案、調整に交渉とやり始めたら100年以上はかかるでしょう。我々の農業界というのも遊牧民スタイルで、遊牧民族というのは、口伝や言い伝えで自分たちのことを伝えることが多く、記録がほぼありません。だからこそ、チンギス・カンや今回取り上げる満州族然りと、つまり人を育てるだとか、誰かに伝えるということは極めて不得手なことが多い。ましてや農業は戦後70年近くこのやり方を続けてきてしまった。変えるには同じくらいの時が、70年は必要でしょう。それを改めて教えてくれたのも「蒼穹の昴」でした。

新法派筆頭格の康有為は科挙に敗れ去ったこともあって、現状の中国大陸のシステムに対して憎しみに近い感情を抱いていたのは確かでしょう。そんな状況だからこそ、実際にそのシステムを運用している立場の人間が抱える事情や思惑が分からない短所もあります。憎しみが有り余る状況下ではそういったことも冷静に判断が出来なかったことも失敗の要因だったようにも感じられます。

「いまだに科挙に挑み続けている彼には、官吏の思惑がわからないのだ。自分の理想とするものが、官僚国家をくつがえすものであることを知らない。いや、知ってはいるのだろうが、そんなことはお構いなしにひたすら驀進する。 たとえば憲法を制定するにあたって、旧来の祖宗の法をどう折衷するのか。国会の開設にあたっては、皇族や満洲旗人をどう遇するのか。鉄道を敷設するにしても地方に根をはやす郷紳層とどのように話し合うのか。教育改革は科挙制度を否定する。新軍の建設にあたっては伝統ある八旗や緑営、なかんずく李鴻章ひきいる北洋陸海軍を、どのように取りこむのか。 康有為の声高に語る新国家が、文秀にはどうしても桃源郷のありさまを説いているように思えて仕方がなかった。」


もちろん、現代においてもスピードを上げて改革をしなければならないことはあるでしょう。ただ、その代替案がなければその後の反動を和らげることもできない。日本と違って中国大陸は10倍近くの人口が住んでいます。完成され尽くしたシステムは西太后1人の力ではとても変えることは出来ず、そのまま清王朝は日清戦争に負け、戊戌の政変と呼ばれる内乱が起き、義和団事件でボロボロになり、康有為もイギリスの力を借りて他国へ亡命したりと激動の時代真っ只中で、やがて王朝の歴史そのものに幕を下ろすこととなるのは皆様もご存知の通りです。

作中でも議論という名の罵り合いが繰り広げられていますが、これは現代のSNS社会においても変わらないと言えるでしょう。しかし、現実というのは一方の理論で無理矢理押し切ったとしてもしばらくすればバックラッシュが起きて急激に寄り戻しが起きることが多々あります。だからこそ、時間はかかっても互いに「そういう事情があるならばこうすればいいのではないか」といった対話をしながら具体的な知恵と工夫で一つずつ乗り越えていければ100%は無理だとしても、理不尽を少なくする努力をし続けることは出来るはずです。

文秀は最後は光緒帝の背後にいる欧米諸国の影を考え、「このまま光緒帝の治政が続けば欧米列強の傀儡となるだけだ」と危惧し、心より光緒帝を愛したものの、断腸の思いで失脚させることを決断した西太后一派のクーデターにより失脚することになります。アメリカ人記者、日本人記者ら、そして春児らの協力によって何とか日本へと亡命することが出来ました。日本へと亡命する船の中で光緒帝に向けて書き上げた手紙の一文に大変胸を打たれました。

僕らのなすべきことは、決して施しであってはならなかった。日照りの夏はともに涙を涸らし、凍えた大地の上をともに転げ回ることこそ、彼らの中から選ばれた政治家の使命なのだということに、僕はついぞ気付かなかった。

勇ましいことをただ叫ぶのでもなく、彼らの立場に立って彼らの要望や実情を知って対策を共に考えていく。現実を変える方法は個人の妄想ではなくて、現実の改善から始まっていくという一番の気付きなのかもしれません。


孔子の言った忠と悌との原理を、僕はそのとき知った。そして尊い書経の訓えを何ひとつ理解せず、ただ丸暗記をして科挙に登第した僕ら士大夫が政治を語り始めたとき、国家は自ずから衰亡の道をたどったのだということも。

康有為は、改革は自強であると言った。 まさにその通りである。自らを悟り、自らを鍛え強めることのほか、改革は有りえない。外国の侵略とか、天変地異とか、個々の宿命とか、そうしたものは自己の改革とはもっぱら関係のない、いわば人間を取り巻く環境の一種であろう。

しかし変法自強の国是が、まず何よりも政治家である僕らひとりひとりの心のうちにこそ必要であったことを、僕らは誰も、当の康有為すらも気付いてはいなかった。

僕らの理想と掲げた変法政治が空疎で非現実的なものだと酷評された理由は、ひとえにそれだった。決して康有為の思想が誤りであったわけではない。

いわんや僕らが懋勤殿で熱く語り合った政策の、何ひとつとして誤りであったわけではない。すべては僕らの心のうちなる誤りだった。


与件として対応しなければならないことはあるものの、それ以上に「自分がどうありたいのか」、「どんな組織や国にしたいのか」という基本的な、根本的な思想があって、それを実現するための料理道具を揃える。包丁ですとか、火力鍋ですとか、それと具材といった塩梅に。それがITだとか、シェアハウスなのかはそれぞれ異なるでしょう。それを時代と擦り合わせながらも自分たちなりに練り上げていればオリジナルのものが出来て、自信も誇りも生まれていく。そういうことなのだろうと個人的には読んでいて解釈しました。

生きて再び相まみえ、四億の民のために尽くそうではないか。そう、施すのではなく、尽くすのだ。

選良というものはその栄光と等量の責任を常に負っている。

結果として清王朝は科挙を廃止し、漢民族と満州族同士の婚姻を認め、ようやく近代化に向けて歩みを進め始めた矢先に西太后が崩御。そして1912年に清王朝は滅亡して中華民国が立ち上がります。ここまでは史実の通りです。春児はそのまま西太后へ仕え続け、改革に敗れ去った文秀は日本へと亡命し、再起の時を伺い続けるという流れとなります。

改めて改革というものは時間がかかり、そして何を変えて、どの部分を変えて、どの部分を変えずにいるのか。守っていくのか。そういうところを考え続けていくのは面倒なことですし、一方の理屈を無視して進めていく方が面倒ではなく、効率がその時はいいように感じます。しかし、長い目で見ればそれが思わぬ形で反動となって返ってくることがあります。昨今のアメリカやヨーロッパの分断も然りでしょう。

現在の中国大陸は目覚ましい発展を遂げています。そもそも僕ら日本人は鮮卑族をルーツに持つ随唐王朝から始まって、その文化を、知識を得続けてきました。つまり、僕ら日本人にとっての教師が中国大陸であり、その土地に住まう方々だった訳です。そもそも彼らに勝つためにかつては極限なまでに無理をし続けていたのだろうと今なら感じます。

ただ、西太后が望んだ形の100年後の中国大陸だったのか。それは分かりません。日本も中国も今も尚、道の途中にあります。どんな未来図がこれからあるのかも分かりません。正解が分からなくても向き合い続けること。そして、正しさは時代によって変わること。この2つを改めて忘れてはいけないと再確認させられた作品でもありました。

最後に春児が日本へと亡命する文秀へと送る言葉で筆を置きたいと思います。

「白太太は、一等大事なものをおいらにめぐんでくれたんだよ。豆や粥は糞になりゃおわりだけど、腹の中にずっとこなれずにあるものを、おいらにくれたんだよ。噓だってことはわかってたけど、夢に見るだけだって有難えから、だからおいら、ちんぼこを切ったんだ。ちんぼこもきんたまも切っちまえば、痛え分だけ本当になるかも知らねえから、だから──」

「よかったな、春児。本当になったじゃないか」

「お告げなんてそんなもんだ。運命なんて、頑張りゃいくらだって変えられるんだ。なあ、少爺、だから生きてくれよ。おいらがやったみてえに、白太太のお告げを、変えてみてくれよ」

「運命は自分の力で変えられる」と強く語りかける春児。貧しさゆえに宦官にまでなり、そして大総監にまで上り詰めた、言わば中国という歴史が生み出した負の産物である宦官の歴史を終わらせる役目を負った青年の言葉は創作とは言え、今の時代にこそ刺さる気がしてなりません。

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