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2022年は正月をやらず、祝祭性と距離を置いている.

 明けましておめでとうございます.
タイトルの通り、祝祭性と距離を置いて正月をやっていない中間優善です.

さて、今日は三が日の最終日ですが、皆さんは良きお正月を過ごしておられるでしょうか(良き正月ってなんだって話ですが).

個人的には正月をやらないのは初めてなので、なんだか落ち着かない気もしながら、いろいろとゆっくり考えたりもできている状況です.


ハレとケ
・ハレ・・・儀礼や祭、年中行事などの非日常.「ハレの日」の「ハレ」
・ケ ・・・ ハレとは逆で、普段の生活である日常.

 個人的に昨年までは「ハレとケ」ってやつを精神的に大切にしてきました.
しかし今年は「ハレとケ」の感覚と距離を取り、完全に自主的な生活を送るために祝祭性と距離を置くことにしました.

「ハレとケ」は日本人の伝統的な世界観の一つであり、日本文化の象徴の一つでしょう.
しかし、それを大切にすることは重要でありながら、それにどこか振り回されている感覚を私は数年前から感じていました.


「何事にも区切りが大事」と言う人ほど一年の中でけじめが付けられず、ダラダラと時間を浪費しがちなのは小学生のころから見抜いていました.

人口の多くが重要視していることを理由に、数か月後には忘れる程度の本心で「区切りが大事」と言いながら、日常的に信じているわけでもない神様に図々しくも「ご縁があるように」と言って5円玉を賽銭箱に放り投げる.

これが現代の日本に生きる我々にとっての「ハレとケ」と祝祭性ならば、個人的には振り回されている感覚が付きまとっていることを認めざるを得ないところまできています.


時間が勝手に進んで年度が替わり、普段から信じているわけではないものの信じている素振りをしている方がご利益がありそうなどという態度で行く初詣などで得られる祝祭性は、本来の祝祭性とは程遠いものなのではないかと思っています.

その程度の正月よりも、国民に対して一律で給付される給付金の方がよっぽど祝祭性を感じられるのではないでしょうか.


そんな”正月のフリ”と、”本来の祝祭性とは程遠いハレとケ”に振り回されることにウンザリしたからこそ、私は自分の2022年から正月を取り除きました.

本年一発目から自主的な生活を送れているので、なんだか今年は今までと比べて一層、良き一年になりそうです.


みなさんの2022年が良き一年になることを心よりお祈り申し上げます.





「2022は正月をやらず、祝祭性と距離を置いている.」

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