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苦労を買う感覚で、大学から負荷を買っている.

「苦労は買ってでもしろ」この言葉は正しいものの、なんだか好きになれないというか、何かがしっくりこない中間優善です.

人間は我慢しないと我慢強くなれないし、鍛えないと強くなれないらしい.

「苦労はどこで買えるんだろう」とか中学時代に考えていたものの、当時の自分には全く分からなかった.

大学に入っていろいろ考えている中で当たり前に思ったのは
「あれ、今の俺って苦労に近い何か...負荷を大学から買ってるのでは?」ってこと.

まぁ自分が在籍しているのは全くもってFラン大学なので負荷と言ってもたかが知れてますが、入らないよりは「苦労≒負荷」を年間100万ちょっとで手に入れられてるんじゃないかと思ってる(つもりになってる)訳です.


いつの時代でも「時代」というのは見通しが悪く、不安が付きまとうものなので、「ある程度のことには身一つで対処できる可能性」を高めるのが一番良いのでは?と思う今日この頃です.


「物が売れるより自分が売れたほうが嬉しい」って誰かが言っていた.

それってサービスはもちろんだけど、それよりも「あなたが言うなら」とか「あなたが売ってるものなら内容を見なくても信用できる」とかっていう人間同士が実現し得る最高の価値提供、価値交換のことを指しているんだと思う.

確かにそれって最高だけど、この地球上において、そんな「最高」はどれほど現実に存在しているんだろうか.

そもそもそれを目指して努力している人はどれほどいるのだろうか.


まぁ人類の大半が目指していてもいなくても自分が目指さない理由にはならないし、ある程度、心地の良い距離感を保ちながら人間活動していきたいし、2022にはバイト以外でしっかりお金を稼いでいこうというシナリオを模索している段階な今日この頃です.
(2021中にはシナリオを完成させないとヤバいなぁとか思って頑張っている)


とにかく「苦労は買えるなら買うべき」で、その理由も世間には溢れていて、手にするべき最低限の「苦労≒負荷」を大学から買っているという事実と、その費用対効果を上げまくろうっていう簡単な話でした.



「苦労を買う感覚で、大学から負荷を買っている.」
#日々短文雑記

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