市長と社長のまちづくり
やってます? まちづくり。
「A列車で行こう」シリーズ35周年記念として、nintendo switchで新作が発売されたこともあり、急にまちづくり欲求に駆られたため、とりあえず手近なところでタブレットで遊べるシムシティをインストールして遊ぶことにしたんですが、実は私、これまでシムシティをちゃんとやったことないもので、いろいろと新鮮です。
A列車についてはPSロンチのAIVをそれなり遊んでいたので、都市開発ゲームとして感覚的には近いものと思ってて実際、インフラ整備→建築の繰り返しという流れはそう違うものでもないんですが、シムシティはとにかく五月蝿い。市民であるシムがことあるごとに苦情を申し立ててくるではないですか。
最初だから次にやることの指針としてのチュートリアル要素かと思ってたんですが、ずっと言うし嫌味も言うしなんか赤くなるし、ハハーン、これは国民性だな?と気づいてからは市長として一皮剥けた気もします。
対してA列車はと言えば、そういった市民との触れ合いはまったくなく、もっと無機質な何かが、自分の引いた線路の上を走る列車に駅からゾワッと乗って、次の駅で全部がゾワッと降りるというのを数字として見ている位。そこに人の息遣いや悲喜交交なんてこれっぽっちもない。それがいい。AIVプレイ当時は、未開の惑星で謎の現住生物(列車に乗ることが楽しみの群生個体)をただひたすらに運び続けるイメージで遊んでいました。
そもそも、それぞれのゲームはプレイヤーの立ち位置が違っています。シムシティは市長、A列車は経営者という似ているようで全く異なる視点から見た世界で、片や首長として選ばれ町の発展を託されて市井の声を伺う日々、片や社運を掛けての町諸共の大改造に大鉈を振るい続ける宿命。最終的に町を大きくするという一点に於いては変わりないのに、こうも違うものなのだなぁと思った次第です。
ちなみにここまで書いたものではA列車には情緒がないと思われそうですが、そんなことはなく、ある程度の大きさになった都市はさながら生き物のように動き続け、ある種の生態系を感じさせます。まぁ思い入れの為せる技ですが、駅ビルから伸びる幹線道路の両側にポコポコと建っていく現住生物のおうち、最初に建てた自社ビル、地価が上がって買収に苦労した線路、原っぱの真ん中に建った現住生物の可愛らしいおうち(そこだけは開発しないようにしていた(のにいつのまにかヨソのビルが建っていた(ので買い取って更地にした)))など、冷徹な経営者の小さな葛藤や思いがそこここに溢れ、後から眺めるにつけ、あやしうこそものぐるほしくなるのです。
ということで、最近の快適なPCで昔のA列車がやりたいなぁ、というお話でしたが、シムシティも面白いのでぼちぼちやっていきたいです。