心に移りゆくよしなし事が瞬間風速8mで通り抜ける
「日々の生活」という呪縛が快感に
気付けば自分も30代の中盤に差し掛かってしまった。
先日、つい昨日のことのように語らった思い出話が「10年前」の出来事であることに衝撃を受けた。それどころか、気付けばノストラダムスの大予言を面白がって(ついでにちょっと不安になってみたりもした)可愛い小学生の頃から四半世紀が過ぎている。
僕は平成元年生まれ、どのコミュニティに新参者として足を踏み入れても
「うそ、平成うまれなの!」
「すごい若いね~新世代だ!」
などとちやほやされがちな人生を送ってきているが、今や配偶者とタッグを組んで二児の育児にてんやわんやする、中二病に罹患していた頃に思い描いていた「普通の大人」になることになんとか成功した。
なんとかして「普通の大人」になる?
「なんとか成功した」と言葉を選んだのは、それが「刺激的な毎日」とは一線を画した、絵に描いたような平凡であるということへの安堵と、普通とは何ぞやと深く考えることをせずにただ毎日を必死に過ごしてきた結果が「日々の生活」の獲得であったという焦燥による、大変にアンビヴァレントな感情ゆえである。
かつての僕にとっての「普通」とは、まさに自分の父であり母であった。
本の虫で仏教美術や現代文学に造詣が深かった父は、不幸にも早くに亡くなったが、割といい大学を卒業し有名出版社に勤務して、僕が望むだけ好きなだけ本や体験を買い与えてくれた。
無駄に美大を出て専業主婦をしていた母は、僕と妹の二人を仕事の虫でもあった父をサポートしながらほぼ一人で育て上げた。今思えば特別気取ることなくとも、日々の生活にアーティスティックなエッセンスを散りばめてくれていたように思う。
(毎日美味しいご飯を大量に作ってくれて僕をぎっしりあんこの詰まった体系に育て上げてくれたことに関しては、ちょっと手加減してくれても良かったとは思う)
その二人の影響をもろに受け、僕は何故かUKロックにかぶれながら澁澤龍彦や宮沢賢治を愛し上代文学と日本古典音楽のオタクも兼任するという、ハイブリッドというよりテキトーなキメラのような文化的醸成を果たしたのだ。
それが僕にとっての「普通」なので、もしかするとこれは世間一般における「普通」ではないのかもしれない。でも実際に「普通」なんてものは、きっと人の数だけ存在しているに違いない。
僕の「普通」を誰かを傷つけたり、誰かの「普通」が僕に押し付けられたりしなければ、世界は色とりどりの「普通」に満たされる。
僕の「普通」に満たされた世界
「普通」とは呪縛であって、快楽でもあるのだ。
そして僕にとっての「普通」とは「日々の生活」のことである。
(一発書きのコツをつかめなくてタイトル回収に時間がかかってしまった)
我が愛する子供たちは理不尽だ。
何故ならあの子たちは己の「普通」を我々に強要してくる。
「アイス食べたいーーーー!!!(号泣)」
という言葉には「(私がアイスを食べたいと思ったから私はアイスを食べるべきでありそれが満たされず大声を上げて泣くのは私にとってごく普通の行為なのです)」というエクスキューズが含まれている。
なので僕は子供による子供なりの理論武装と糾弾を受けて
「アイスは明日食べた方が美味しいよ、明日にしようね。」
と笑顔で語り、適当なオモチャで気を引くことにより我が子をその「普通」という呪縛から解放し、おやつにでかい饅頭を食べてしまった我が子がデザートにアイスをも食べようとするのを阻止して、「日々の生活」の新しい礎とする。
子供の癇癪への対応について悩んだり考えたりしすぎて話が脱線してしまった。
要するに、そうやって目の前に有り余る「普通」を、誰かの「普通」と照らして沢山の調整を経た結果が、僕という存在であり、妻という愛しい人であり、まだ侵略怪獣ぐらい話の通じない世界一可愛い子供たちのいる「日々の生活」なのだ。
総じて「日々の生活」は……?
僕はこの「日々の生活」という呪縛が快楽であると知っている。
だからそれを守ろと必死になり、大きなことも出来ないし、小さなことには気が配れないし、中くらいのことでも見逃したり、武骨で無様なりとも、その快楽を追い続ける。
この数年の人生は、"よしなし事"が心に浮かんでは消えを繰り返し、それぞれが瞬間風速8mの春一番クラスで吹き飛んでゆく、そんな感じの繰り返しだ。
無為だけれど無駄ではない、なかなか悪くない。
試し書きしようとしてみたらついつい筆が乗ってしまった。
もう宇都宮線を降りる時間だ。帰りにスーパーでアンパンマンのパンを買って、子供の機嫌をみながらちょっとだけ楽器の音出しをして、食卓を囲みながら「日々の生活」の呪縛に浸ろう。