なぜ手コキは手コキで手マンは手マンなのか
手マンはなぜ手マンで、手コキはなぜ手コキなのか。なぜ手チン、あるいは手掻きではないのか。読者の皆様はそんな疑問を持ったことはないだろうか。私はこのことが気になって手コキをする手が止まらないので、一度真剣に考察してみることにした。
手マンとは
マンはものの名前だ。手とマンでどうにかするという意味で、どう扱うかと言うことは書いていない。何か深い意味が隠されているのではないかと、Wikipediaをのぞいてみた。
この上なく安直。主人公と主要登場人物の名前だけで、あとはこちらの想像に任されている映画のタイトルのようだ。例えると「アナと雪の女王」と言ったところか。穴だけに…。
手コキとは
一方コキは動きを表す。何を扱くのかと言うことは全く表されていない。もしかしたら稲かもしれない。ここで、手コキの語源とされる、「扱く」という言葉の意味を見てみよう。
アレを扱うその様子がありありと浮かんでくる説明である。まるで手コキのために存在する言葉かのようだ。
映画のタイトルの例えを継続すると、ちょっと品詞は違うが「時をかける少女」だろうか。少女が時をかける映画ということがはっきりと伝わってくる。いやまて、「時」が「チン」にあたるなら「かける少女」だ。ふざけるな。何も伝わってこない。ここまで削ぎ落としているのは「おくりびと」くらいか。偉大。手コキ偉大。
私の考察
2つの言葉の意味を確認したところで、なぜ名付け方に差異が出たのか、私の意見を述べる。一文で言うと、「マン」は使い方がはっきりしているが、「チン」は使い方を何種類か予想できるために「手マン」「手コキ」と名づけているのではないか。
少々回りくどい言い方をするが、例えばあなたが鍵を知らないとする。それを渡されて使い方を聞かれたら、どのように扱うだろうか。おそらく検討もつかず、でこぼこ部分をつまんでみたり擦ってみたり、握ってみたりして確かめるだろう。
しかし目の前に鍵穴があり、これの使い方を説明しろと言われたら、よほどの捻くれ者でなければ「これは何かを突っ込むものだ」と推測するはずだ。
穴の用法は一つ、棒の用法は様々。これが手コキ、手マンの名前の真相なのではないかと思う。
まとめ
手コキ、言わなくてもあの存在感からそれを使うのは明確な棒を、扱く。これで説明は完了する。
そして手マン、「マン」が穴の形をしていると言う情報さえ得ており、それを見つけ出しさえすればやることは一択だ。
それ故に手コキ、手マンという名前で通っている。なかなか説得力のある説ではなかろうか。あくまでも一意見として、ピロートークのネタにでも使っていただけたら幸いだ。
最後に…
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