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【結城友奈は勇者である考察】祝詞について

みなさんこんばんは。来覇(くるは)と申します。
新年あけましておめでとうございます。今年も勇者であるシリーズの世界観をより深く知っていけるように様々な記事を書いてまいりますので、よろしくお願いいたします。

今回は勇者であるシリーズに登場する『祝詞』について考えていきたいと思います。


勇者であるシリーズの世界は土地神の集合体である神樹を奉る宗教体系であるため、作中で登場する祝詞には現実の神道で使われている祝詞に近いものが多く用いられています。

そこで、勇者であるシリーズに登場する『祝詞』と現実の神道で使われている祝詞との違いやその意味を考えていきたいと思います。

※注意
今回、祝詞をわかりやすく知ってもらうため現代風の表現で示している部分がありますが、あくまで祝詞の難しい表現を簡単に知ってもらうためのもので、厳密な現代語訳ではありません。


1.結城友奈の章

まずは「結城友奈は勇者である -結城友奈の章-」で登場した祝詞について考えていきます。

最初に祝詞が登場したのはバーテックスの御霊を封印する「封印の儀」を行う場面です。

『結城友奈は勇者である -結城友奈の章-』第2話より 

こちらは「日本神話との関係性①天の神、神樹、中立神、造反神」の記事でも説明しましたが、『幽冥神語』と呼ばれる祝詞です。

『幽冥神語』は主に出雲大社で唱えられている最も重要な唱詞であり、主に葬儀や慰霊祭の際に用いられます。

祝詞内に出てくる「幽世大神」はオオクニヌシを表しており、祝詞を唱えることでオオクニヌシから霊的な守護を受けることができるとも言われています。

「封印の儀」では勇者のエネルギー残量が重要となってくるため、少しでも勇者が神樹から力を得られるようにという思いで大赦は「封印の儀」の際にこの祝詞を唱えるとしていたのかもしれませんね。

2.鷲尾須美の章

次に「結城友奈は勇者である -鷲尾須美の章-」で登場する祝詞についてです。

「結城友奈は勇者である -鷲尾須美の章-」では鷲尾須美、乃木園子、三ノ輪銀が勇者として初めて変身する際に祝詞を唱えます。

あめつちに きゆらかすは さゆらかす かみわがも 
かみこそは きねきこゆ きゆらかす みたまがり 
たまがりまちし かみはいまぞきませる みたまみに 
いまししかみは いまそきませる

『結城友奈は勇者である -鷲尾須美の章-第1話』より引用

これは『阿知女作法』と呼ばれる神楽歌の一部分です。
『阿知女作法』とは主に宮中や神社において神の降臨を喜び、神聖な雰囲気を作るために歌われる呪文のようなものとされています。

『阿知女作法』は具体的にどのような意味をもって唱えられていたのか判明していない部分も多いようですが、鎮魂の儀とも関連の深い祝詞であるとされているので、鎮花の儀にてバーテックスを追い払うというお役目に最もふさわしい祝詞として、この『阿知女作法』を変身の際に唱えるようにしたのかもしれませんね。


3.乃木若葉は勇者である

続いて「乃木若葉は勇者である」で登場する祝詞についてです。

「乃木若葉は勇者である」では巫女である上里ひなたが大社を訪れた際、身を清めるための滝行を行う際に祝詞を唱えます。

祓い給え、清め給え、神ながら、守り給え、幸い給え

『乃木若葉は勇者である上巻p151』より引用

この祝詞は神道において最も一般的な唱え詞であり、神社に参拝するときや神棚を拝む時に唱える略式の祝詞となります。

意味としては「穢れを祓って、清めてください。神様の御心のままに守ってください、幸せをください」といった感じで、神様にお願いをするという祝詞となっています。

実際の神道で滝行を行う場合は真言や経など、より複雑なものを唱える場合もありますが、巫女たちは神職にも神社にも関係のない一般家庭の生まれの子が多いという描写がある通り、最も簡単で一般的な清めの祝詞が選ばれたのだと思われます。

余談となりますが、この場面で神主の家系の少女が大社に教えられていない祝詞を唱えたところ、「ここでは相応しくありません」と戒められたという一幕があります。
これは「結城友奈は勇者である -勇者史外典-」においても同じようなエピソードがあります。

神道にも食前の祈りの言葉とかあるんですけどね。もちろん大社の大人たちもそれを知ってるはずだけど。その祈りの言葉は、『神樹教』の教義とは合わないんでしょうね

『結城友奈は勇者である -勇者史外典- 上巻p14』より引用

神道において食前の祈りの祝詞には、
「たなつもの 百の木草も天照す 日の大神の めぐみえてこそ」
というものがあります。

内容としては作物の恵みを与えてくれる太陽神アマテラスに感謝をささげるものとなっています。
「日本神話との関係性①天の神、神樹、中立神、造反神」の記事でも説明した通り、アマテラスはバーテックスを差し向け世界を滅亡寸前に追いやった天の神そのものであるため、それを称えるような祝詞は神樹を信仰する大社からすれば相応しくないということなんでしょうね。

このような描写からも、現実の神道と作中で大社が信仰している神樹教との違いが見えてきますね。

4.楠芽吹は勇者である

続いて、「楠芽吹は勇者である」で登場する祝詞についてです。

「楠芽吹は勇者である」では国造りという神代の時代に行われた儀式を模倣していることや幼いころから大赦で巫女としての訓練を受けてきた国土亜耶が登場することから、他作品よりも祝詞が多く登場します。

まず最初に登場するのは、防人隊が初めて結界外の調査を行う際、国土亜耶が行った安全祈願の祝詞です。

掛巻くも畏き神樹、産土大神、大地主神の大前に恐み恐みも白さく、捧奉りて包祈奉らくを平げく安げく聞召て、神樹の高き広き厳しき恩頼に依り、禍神の禍事なく、身健やかに心清く、守り恵み幸へ給えと恐み恐みも白す。

『楠芽吹は勇者である p4,5』より引用

こちらは祝詞内に「神樹」という言葉が出てくることからわかるとおり、実際の神道で使われている祝詞そのままではありません。
一般的に安全祈願として唱えられている祝詞をアレンジした内容となっているように思えます。

簡単にですが、現代風にわかりやすく意味を取ると、
「口にするのも畏れ多い神樹様、土地神様、大地の神様の前で恐れ多くも申し上げます。私たちが捧げる、穏やかで安らかであってほしい、という祈りを神樹様がお聞きになって、心身が健全で精神も清らかでいられるようにお守りください。お恵みください。幸せにしてくださいと恐れ多くも申し上げます。」

といったような感じになります。

神道における安全祈願の祝詞は、交通安全、家内安全、工事の安全など様々ありますが、祝詞の構成としては冒頭の「掛巻くも畏き」に続き、その土地や宗派が信じる神様の名前が並び、「の大前に恐み恐みも白さく」の後から実際に祈願したい内容が綴られ、最後に「恐み恐みも白す」といったようになっていることが多いように思えました。

国土亜耶が唱えた今回の安全祈願祝詞では、四国を守る「神樹」、土地神全般を表す「産土大神」、大地の神を表す「大地主神」に祈りをささげています。
神世紀300年では土地神が合わさって神樹という一本の樹木になっているため、すべて神樹に対して祈りをささげていることになりますね。

そして「禍神の禍事なく、身健やかに心清く」と祈っています。
これらは神樹が作った結界の外という未知の世界を調査する防人隊に対して、災難がなく無事に帰ってきてほしいという思いが込められているのだと思います。

『結城友奈は勇者である -大満開の章- 第2話』より


次に祝詞が登場するのは国土亜耶が結界の外に行き、神樹の種を植える際に唱えた場面です。

地津主神、夫れ甲子とは、木の栄える根を云。根待ちは普く地を祭事ぞ。地は則ち妻なれば、是を祭るを寝交待と云。然り心善く……

『楠芽吹は勇者である p114』より

こちらは『大國神甲子祝詞』の一部であると思われます。
『大國神甲子祝詞』はオオクニヌシを奉る祝詞であり、国造りを行い今の平和な葦原中国を作り上げてくれたオオクニヌシに感謝するといった意味があるようです。

こちらも簡単にですが、現代風にわかりやすくなるように意味を取ると、
「地上を作られた神様、"甲子"とは木が栄える根のことをいいます。"根待ち"とはすべての大地で神事を行うことです。大地とはすなわち妻のことをいい、大地である妻を祀るということはつまり交わることです。これによって何事もなく……」

本来の『大國神甲子祝詞』ではこの後もオオクニヌシへの感謝の言葉や国造りを行った偉業を称える言葉が続きますが、すべて唱えていると長すぎるため勇者であるシリーズではカットされたのだと思われます。

防人隊のお役目は神代の時代に行われた国造り神話を模倣することで、結界の外の世界の理を書き換えることを目的としていたため、神代の時代に国造りを行ったオオクニヌシを奉る祝詞を唱えるようにしたのではないでしょうか。

余談となりますが、祝詞内で出てくる『甲子』とは干支という暦法上の用語で、十干と十二支を組み合わせた60通りを西暦年に当てはめることができます。
例えば、2023年の干支は十干の「癸(みずのと)」と十二支の「兎」を組み合わて『癸兎』となります。

『甲子』は60通りある干支の一番目に当たるため、縁起が良いとされ、物事を新しく始めると長続きするといわれています。
実際の西暦年で次に『甲子』が来るのは西暦2044年となります。

『結城友奈は勇者である -大満開の章- 第3話』より


5.大満開の章

最後に『結城友奈は勇者である -大満開の章-』で登場する祝詞についてです。
『結城友奈は勇者である -大満開の章-』でも、主に祝詞が登場するのは防人隊が関わる場面です。


まず、弥勒夕海子と山伏しずくが、神樹の種から成長した樹の幹を斧で切り取る場面です。

『結城友奈は勇者である -大満開の章- 第4話』より

うぶすなの おおかみたちのおおまえを おろがみまつりて かしこみかしこみも もうさく みはしらを いみへのいみおのをもちて きりとりて

『結城友奈は勇者である -大満開の章- 第4話』より引用

こちらの祝詞も、実際の神道で使われている祝詞で同じものは見つかりませんでしたが、できる限り現代風にわかりやすく意味を取ると、

「土地神様の前で拝して謹んで申し上げます。御柱を忌斧を用いて切り取って」

のようになると思われます。

この祝詞で注目したいのが「いみおの」の部分です。
おそらく「忌斧」と表記するのだと思われますが、実際の神道において「忌斧」というと、伊勢神宮の式年遷宮で用いられるものが最初に浮かびます。
アマテラスを奉る伊勢神宮において、20年ごとに社殿を新しくするのが式年遷宮であり、神殿で用いる御料木を伐採する際に用いられるのが「忌斧」です。

これまでに登場した祝詞はほとんどが大国主や土地神を奉る祝詞が基になっていましたが、なぜこの祝詞では天の神であるアマテラスを奉る伊勢神宮で用いられる忌斧が含まれているのでしょうか?

この時は天の神の怒りにより結界外の炎の勢いが強まり、人類の天の神に対する反抗計画であった『国造り』計画は失敗に終わった場面となります。
そのため大赦は天の神に赦しを乞う意味も込めてアマテラスを奉る伊勢神宮で用いられている「忌斧」を祝詞の一部に含んだのかもしれませんね。


続いては、防人隊の切り札であるオオカミノアシを発動する際に唱えた祝詞です。

これの かみどこにまつる かけまくも かしこきしんじゅの おおまえに かしこみかしこみも もうさく しんじゅの ひろきあつきみめぐみを かたじけなみまつり たかきとうきみおしえのまにまに なおきただしき まごころもちて まことのみちに たがうことなく

『結城友奈は勇者である -大満開の章-4話』より引用

こちらは『神棚拝詞』を一部アレンジしたような祝詞となっています。
元々の『神棚拝詞』では大神や産土大神となっている部分が神樹に変わっています。

できる限り現代風にわかりやすく意味を取ると、

「この神棚に仰ぎ奉ります。口にするのも畏れ多い神樹様の前で拝して謹んで申し上げます。神樹様の広く厚い恵みをもったいなく思い、尊い神の教えの通り、素直で正しい心をもって人の道を踏み外すことなく」

といったようになると思われます。

『神棚拝詞』は一般家庭で神棚に対して拝む際に用いられる祝詞となっています。
略式の祝詞は「祓い給え、清め給え、神ながら、守り給え、幸い給え」でよいようですが、この『神棚拝詞』が正式な祝詞であるようです。

防人隊が一斉にこの『神棚拝詞』を唱えて神性を高めることが、切り札であるオオカミノアシを発動するトリガーとなっているのではないでしょうか。

『結城友奈は勇者である -大満開の章-4話』より



最後に、天の神に対して千景砲の発動させる際に唱えた祝詞についてです。

かけまくも かしこきつみはやえ ことしろぬしのみことの ひろまえに もうさく すえむつかむろぎかむろみのみことをもちいて すめみまのみことの とよあしはらのみずほのくにを やすくにとしろしめさんと かむとはしにとわしたまわんとき おおかみはいずものくに みほのさきにあるきまし とかりいさりお たのしまして あしはらのなかくにのたちどころにすめみまのみこと 

『結城友奈は勇者である -大満開の章-第10話』より

こちらは『恵比寿神祝詞』と言われる祝詞になります。
祝詞の中に「ことしろぬしのみこと」とあるように、恵比寿神はオオクニヌシの息子であり『天ノ逆手』を打ったとされるコトシロヌシとする説があります。

こちらの祝詞も、できる限り現代風にわかりやすく意味を取ると、

「口に出すのも畏れ多いコトシロヌシ様の御前で申し上げます。祖神の神々のご命令で、アマテラスの孫であるニニギノミコトが豊葦原中国を平穏に統治しようと八百万の神々と話しているとき、コトシロヌシ様は出雲国の美保ヶ崎に行っており、鳥たちと戯れ、釣りを楽しまれていましたが、ニニギノミコトが葦原中国を」

本来の『恵比寿神祝詞』はこの後も、ニニギノミコトからの国譲りに対してコトシロヌシがどのように対応したのかについてや、それによる感謝の言葉などが続きますが、勇者であるシリーズの作中ではここまでで途切れてしまっています。

ここで注目したいのが、これまでに勇者であるシリーズで登場した祝詞では主に土地神の王であるオオクニヌシを奉っていることが多かったですが、千景砲を発動する場面ではコトシロヌシを奉る祝詞を唱えている点です。

コトシロヌシは「日本神話との関係性①天の神、神樹、中立神、造反神」の記事で紹介したように、『天ノ逆手』を打った神様であり、『天ノ逆手』は勇者であるシリーズにおいて天の神に対するキラーとなるなど特別な意味を持ちます。

そのため大赦は天の神に対して最も有効な攻撃方法として、コトシロヌシを奉る『恵比寿神祝詞』を唱えることで千景砲に『天ノ逆手』と同様の効力を付与させたのではないでしょうか。


6.最後に

いかがだったでしょうか。

今回は勇者であるシリーズに登場する祝詞の意味や、実際の神道で使われている祝詞との違いについて考えていきました。

勇者であるシリーズは神樹を中心とした宗教体系のもとで人々が生活しているため、神道が関わる描写が数多く登場します。

こうした祝詞もただ聞いているだけではなく、どのような意味の祝詞であるかや実際の神道でどのような場面で使われる祝詞であるのかを調べてみることでより深く勇者であるシリーズを理解できるようになっていくと思います。

また、今回の記事を書くにあたって、なるべくわかりやすくなるように祝詞を現代風に書いてみましたが、祝詞で使われる言葉や表現は現代の言葉で当てはめるのが難しいものも多いです。
そのため、完璧にうまく現代語に訳すことはできませんし、現代風の表現にすることで祝詞本来にこめられた意味や表現が損なわれてしまっているかもしれません。

祝詞に関しては実際に神職や巫女として従事している方々のほうがより詳しく理解されていると思うので、今回の記事で示した現代語風の表現はあくまで興味の入り口として参考程度に考えていただいて、より詳しく厳密に知りたい方は実際に神職の方に聞いてみるのがよいと思います。

もし今回の記事内で祝詞に関して間違った表現や解釈などがありましたらコメントなどでご指摘いただくと助かります。


今回はこれで以上となります。
最後までお読みいただきありがとうございます。


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