ヒロアカ6期を見て考えたことなど

久しぶりの投稿。
朝から僕のヒーローアカデミア6期後半のアニメを一気見しました。
感想を書きたくて仕方なくなったので書きます。

色々泣けるシーンあったんですが、一番グッときたのは「デク VS A組」でかっちゃんがデクに謝るところ。
あれはもう泣かずにはいられない。

かっちゃんすごいよ、自分の弱さを認める強さを手に入れた。
あの謝罪は、決して許してもらおうとか自分が楽になるための謝罪じゃない。
心から謝っているのがしっかりと伝わってきて、全てのいじめっ子がああいうふうに成長してほしいと思ったよ…。(無理か…。)
でもああしてちゃんと謝れるまで、色々あったよなあ…。
爆豪勝己という人間の根っこは、繊細で頭のいい人だと思う。
だからこそデクのヒーローの素質にいち早く気がついてしまうし、それが自分にはないものだということもわかってしまう。そしてそれがはっきりと形になって証明されでもしたら、自分の強さなんて粉々に砕かれてしまう気がして怖かったんだろうな。
内面で負けていると思うから、外面でも負けてしまうと、もう自分には何も残らず何もかも終わる気がする、だから排除したかった。この気持ち何となく分かるよ。大体人が人を嫌う時って、その人といると自分の嫌なところがよく見える時だと思う。
でも、かっちゃんがなんでそこから抜け出せたかというと、内面でも外面でも全力でぶつかって全力で負けて、負けを認められたからだ。
思いっきり負けることも成長には必要なんだなと感じました。

でもこれって、やっぱりデクなしではできない成長だったんだよなあ。
いじめっ子に戦い挑まれて、それに応じるデクの強さ。「助ける」という意志だけで真っ先に動くことができて、負けても負けても立ち上がって、誰よりもヒーローなデクがかっちゃんとも真っ直ぐに向き合ってくれたから、今のかっちゃんがある。
でも、小さい頃からずっとかっちゃんを見てきたデクだからこそ、かっちゃんの内面の不安や脆さに何となく気づいていたのかもしれないとも思う。デクはかっちゃんのことを放っておけないところありそう。
心から憎んだり嫌いになったりすることはできないんだろうな、お互いに。

あと、かっちゃんの成長には、周りの大人の接し方も大きく影響していると思った。
叱るときは叱って、時に遠くから見守る。
デクとかっちゃんが戦ってた時、確かオールマイトは物陰からこっそり見てたんだよな。当人同士の問題にあまり介入しすぎず、遠くから聞いていた。あれで口を挟んでいたり止めたりしていたらお互いに本音でぶつかることはできなかったんだよなあ。
まあ相澤先生にはめっちゃ怒られてたけど。
ちゃんと見ていてくれて、支えになってくれる大人がいたからかっちゃんも真っ直ぐ(?)成長することができた。
環境によっては、道を間違えたり闇堕ちの可能性も十分あり得たのだろうな。

いやあ良かった。かっちゃんもデクも。
デク危うくダークヒーローになるのかと思った。クラスのみんながデクを止めようと必死になる姿、ボロボロ泣いた。
デクがちゃんと泣けてよかった…。

長いですがもうちょっと書く!
デクが雄英高校に戻ってきて、避難民に反対される回について。

あれ自分が避難民だったらと考えたら、絶対反対しちゃう。
安全な場所に来たのに、何でその「危険人物」を連れて来んのって。だって怖いし。

でも、お茶子ちゃんの叫びよ。
「私たちも不安なんです」と声のかぎり言うお茶子ちゃん。誰よりもボロボロで疲れ切っている「危険人物」。
そんな姿を見てようやくわかる、自分が否定して排斥しようとしていたのは、今ここにいる少年少女だったのだと。
一対一の会話では選ばないような言葉を放って、その言葉はしっかりと目の前の人間に突き刺さっていたことに気がつく。
ここにいるみんながひとりひとりだったんだと気がつく。
そんな中でヒーローは、この状況を良くしようと必死になって戦っていた。できることをできる限りしてくれていた。ちゃんと説明しようとしてくれていた。
そんな人たちを、勝手に敵と認識してしまった。
目の前の人が自分と同じ人間だと分かると、少し安心する。
安心すると話をしようと思える。
なんと平和的解決方法。
お茶子ちゃんの訴えは、避難民全員の心に届いたと思う。わたしも避難民の一人になったつもりで聞いて号泣してしまった。

なんか、暗い霧の中にひとり迷い込んで、何がいるかわからなくて怖くて闇雲にナイフを振り回して歩いていたら、「おーいいるよー!」って人が現れて、うわ危ないことしてたわって気付いてナイフしまう、みたいなイメージ。
SNSにも同じようなことが言えるよなあと思った。
そのナイフで「たった1人の人間」を刺せることを忘れちゃいけない。

最後に、いちばん強く印象に残っているセリフについて書いて終わる!

「世界のほとんどはグレー」って言葉。
これは最近ちょうど考えていた。状況も環境も心も人間も天気も日々も、白黒はっきりつけられることなんてほとんどない。予想もできない。流動的で矛盾だらけで、どれも正解でどれも間違いになり得る。
それでいい、それがどうやら世界では当たり前らしい。

そんな世界で、デクは、ヒーローは、どうやって信念を貫いていくか。
たぶんそれは「変わり続ける」ということなのではないかと思う。

一度掴んだ手を離さないようにする、離した手はもう一度掴もうとする、見えない手を探し続ける、このままでいいのか、どうすればいいのか考え続ける、問い続ける、聞き続ける、動き続ける。
流動的に変わっていくのなら、その都度対応していくしかない。人によって価値観が違うのなら、話し合うしかない。起きてしまったなら情報を得て対策するしかない。居心地が悪いなら良くするために考えるしかない。

これは日常生活にも言えることだなあと思う。
人間どこまでも堕落できてしまう。ダークサイドにいとも簡単に落ちてしまえる。
そんな日々はつらい。卑屈はやっぱりしんどい。不幸になろうと思って生きている人なんかいないだろう。
だから、平穏や幸せにはちょっとずつ努力が必要なんだろうなと最近思っている。
そんなに大したことじゃなく、ちょっと思いやりを持つとか、ネガティブに悩むのをやめてみるとか、少し弱音を吐いてみるとか、そういう小さい意識でけっこう世界は変えられるんじゃないかなと。
まあ、そんなにうまくいくことばっかりじゃないけど。

そんなことを考えました、ヒロアカアニメ6期。
デクがA組のみんなの元に帰り、少し明るい感じで最終話を迎えたのだが…これからどうなるのでしょう。
みんなが幸せであってほしいけど…まあそんな簡単にはいかないよなあ。

オールフォーワンってもう「悪!」って感じの悪、見た目もやることも怖くて本当に人間か?って感じだけど、オールフォーワン:オリジンとかやったりするんかね。
やるとしてもかなり終盤か。
死柄木には救われてほしいと思ってしまうなあ。

7期待ち遠しいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?