生きてこその感謝
スピリチュアルなことに興味を持つようになって数十年経ちます。星占いから始まって、数秘術、引き寄せの法則、タロットカード、エイブラハムやバシャールなど色々興味を持ったものは何であれ、そこから学んできたと思います。
スピリチュアルを信じていても、時にポジティブだったりネガティブだったりと人生の山あり谷ありを経験してきて、今人生の後半ともいえる時期に差し掛かり思うことがあります。
今こうして生きていることが奇跡そのものなんだということ。
当たり前のようで、実はそうではないことを改めて思いました。実は命を落としていたかもしれなかったことを思い出したのです。
これは数年前に母から聞いた話です。私は生まれたとき未熟児でしたが元気だったので、保育器には入らずに済んでいました。当時その産院には、新生児のお世話をする助手の方がいて、母乳が出ない、出にくいというお母さんの代わりに哺乳瓶でミルクを飲ませたり、おむつを替えたりなどしていたそうです。
ある日の授乳でうっかりミルクをのどに詰まらせてしまいました。体は紫色になって呼吸も止まった私を見て、母はもうだめかと思ったそうですが、幸い処置が早かったので大事に至らずに済んだということでした。
これは小学校に入学して2か月後くらいだったでしょうか、住んでいたアパートが火災で全焼してしまいました。火元が向かいの部屋で、母が気づいたときには玄関がすでに火の海。裸足でパジャマのまま窓から脱出しました。母がその時偶然目を覚まさなければ、きっと一家全員助からなかったかもしれません。(そのアパートは大きな建物内の廊下の左右に各部屋があり、玄関やトイレが共用になっている古いタイプのアパートでした)
今でも火災のことはぼんやりと記憶にありますが、その後のことのほうが記憶に強く残っています。火災現場に焼け残ったものがないかを見に行きましたが、火元から近かったせいか燃えかけた写真やレコード数枚が出てきたくらいで、ほとんど残っていませんでした。
命が助かったからこそ、こんな風に失ったもののことを考えることができたのですが、その時は大切にしていたぬいぐるみが燃えてなくなってしまったことが、何よりも悲しかったのです。
そのあとは人間関係が上手くいかずに命を絶つことまで考えたこともありましたが、その選択をせずに来られたことが奇跡だなと思います。
やっと自分のことを顧みることができるようになって、今は今までで1番幸せに思えるようになりました。自分の身の回り全てに感謝したくなったのも、掃除のせいだけではなくて、幸せに思うようになったから、というのも理由かもしれません。
生きているからこそ、今すべてに感謝ができる。忘れずにいたいと思います。