わが家の不思議ちゃん 幼稚園時代
不思議ちゃんも もれなく3歳児から幼稚園のお世話になることに…それまでも 幼稚園主催のサロンなどに参加していたから お友だちもちらほらと出来ていた。だけど みんなが 親元から離れて先生たちと一緒に遊び出せているのにいつまでも 母親の側から離れられなかった。背中を押して 離そうものならプチパニックに…やっぱり 違うなと感じるひと時だった。
そんな感じだったので 担任に慣れるまでもひたすら時間がかかるわが子に 『みんなはもう1人で大丈夫なのにこの子はいつまでこうなの…』といつも 劣等感でいっぱいになっていた。
幼稚園の年少の5月に田中ビネーの検査を受けた。結果は かなり発達に凸凹があるねということだった。少しずつ 幼稚園にも慣れてきていたのでもしかしたら 問題ないんじゃないかなんて思っていた気持ちが崩れていくと同時に 『やっぱりそうだったんだ』とホッしたもののなんだかモヤモヤした気持ちになった。
幼稚園では 個別に声掛けをしてもらったり パニックならないように 活動に変化がある時には 先に話をしていくなど生活の見通しをつけやすいように周りから援助をもらっていた。そのかいもあり 大きなパニックにも襲われずに幼稚園生活を楽しむことが出来ていた。
年長の春にももう一度 田中ビネーの検査を受けた。やはり 凸凹が目立った。やっぱり 差は縮めることが出来ていないのかと悲しくなってしまった。就学を間近に控えて 田中ビネーではなく もう少し具体的に本人の様子を把握出来るようにと 年長の冬に WPPSIを受けさせて貰えるように幼稚園から 市へ申し込みをしてもらう。
ほかの子とは違い娘の検査はいつもこちらから お願いしないと受けることすら出来ない状況に疑問を感じていた。そして その後のフォローもない。
その理由がわかったのは WPPSIの結果が出た時だった。『ここから先は お母さんが学校などの交渉を個人的にしてください。』との事だった。結局 市の検査対象にはなっていなかったから 公的なケアが全くなかったのだとはっきりとわかった。親がうるさいからとりあえず 検査の申し込みがある時には受けさせるがその先は関係しない。という 仕組みだったのだろうとその時やっとわかった私はガックリとした。
ここからまた自分の力で この子のケアをしていかなければならない。どこにどう繋がることが この子を守れるのだろうかと… 途方に暮れる日々が始まった。
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