一人一人物語があって、誰もが必死に生きているって街。高円寺
「それじゃあテメェの人生はどうなん?」
なーんてぶっきらぼうに聞いてくるような、程よい治安の悪さも残す、人情味のある街。
そう、それは高円寺。こんなにもあけすけに、人情味溢れる商店街があって、独特なカルチャーがあって、でもレトロな街並みから懐かしさが漂う、なんてロックな街だ。
んでもって東京でありながら田舎のような温かみもあるんだよな。
11月4日。高円寺ライフ1日目で感じたこと、冷め止まぬので殴り書きする。ただの日記だけど、体裁なんか気にせずに書き留める。
とりあえず新居はまだ電気も通らず、カーテンもなく丸見えで、ほーんとにすっからかん。どうせ今夜は床で寝るのだから。じゃあ、腹ごしらえにでも、夜の高円寺を徘徊しようと外に出た。
家から5分歩けば、裏路地に佇む飲食街が出てきた。そして昭和レトロすぎる定食屋、発見。本日の定食3種盛り700円、うんうん、昼はおにぎり1つだし腹ペコの極み。
店のドアを開けると、客層は平均年齢70歳といったところ。新聞越しに私を見るお爺さんを見て、ここに小娘の入り込む隙があるのかと一瞬ひるんだ。
でもね、ここが本当に良かった。老夫婦が営む定食屋。昔ながらは勿論なんだけど、「エモい」って言葉で片付けたくない。
ボリューミーな定食にも、お腹いっぱい食べてほしいという気持ちが見える。
部屋から流れるクイズ番組に、お婆さん2人が茶々を入れている。突然始まる「幸せなら手をたたこう」の歌も微笑ましい。
新聞越しで私も睨んだお爺さん、帰りに新聞忘れて行った。そしたら「あんたの商売道具忘れてるわよ」なんて店の奥さんが言って。
あぁ、このお爺さんはどの位通っているんだろう。このポップな街の移り変わりを見て、何を感じているんだろう。なんて思う。
結局閉店間際まで、ボーッとこの空気感を味わい尽くしていた。お釣りをもらう時、なんか嬉しさが込み上げてきて「今日私、高円寺1日目なんです。本当に優しい味でした。また来ます。」とだけ伝えた。(ちょっと反応が薄かった。でも媚びないような性格のようにも感じた。)
次の金曜日、瓶ビールとポテトサラダ頼んで、今度はオムライスを口いっぱいに頬張る。そう決めた。面白いなぁ高円寺。
店を出ると、少しひっそりしていた。駅から外れている為、私は散策を続ける。駅が近づくと、気だるそうな青年は、ギターをかき鳴らし、路上ライブしていた。彼の真っ黒な瞳には、裏の裏まで見透かしているような鋭さがあった。
悲しいもので、名の知れないオリジナル曲より世間に知られた名曲の方が人は足を止めるもんだ。周りは梯子酒するか、駅へ向かうか迷って、こんなにうるさい高円寺では彼の歌はBGMだ。でも私は
「本当は手にしたかった憧れ」
そのフレーズだけ覚えて行った。彼はメジャーデビューを目指しているのか、趣味で弾き語りをしているのか分からない。人にはそれぞれ適した表現の仕方があるから、自分の気持ちを絵や音楽で伝える人もいれば、話すより文章に書いた方がわかりやすい人もいる。少なくとも彼の表現は歌が適していたのだから、私の心を射止めたのだな。
あぁ高円寺は生きてるって感覚の人が沢山いるようで、面白いな。
私たちのほとんどは、何者でもないし、何者かになる必要なんてないのかも。でも、一人一人物語があって、誰もが必死に生きているってことだけは忘れちゃいけなくて。なーんて。
終わり方わかんなくなっちゃった。
とにかく、せっかくならどっぷりと高円寺に浸かっていこう。