語ることのできない幸福 ハイダグワイ#1
人生の分岐点は、いつだって突然だ。
カナダの小さな島 ─ハイダグワイ─で、久しぶりの友人を訪ねる旅は、私にとってただの再会のはずだった。けれどそこで過ごした風景と時間が、こんなにも私の内側を揺さぶることになるとは思わなかった。
あの島での出来事は、いまだに言葉にならない。どんな言葉も、どんな表現も、その瞬間の光景や胸に響いた感覚には遠く及ばない気がする。それは、語るにはもったいないほどの宝物だ。
けれども、時が流れ、記憶の輪郭が少しずつぼやけていくことが怖い。あの日の空気の香り、波の音、胸を満たした喜びや驚き。それらをいつでも取り出せる形で残しておきたい。そんな思いから、私はペンを取ることにした。
*** 9月30日 ***
暴力的な甘さで確かめる、異国感
バンクーバー空港に降り立った瞬間、異国の空気が私の中に流れ込んできた。けれど、それはまだ実感を伴わない、どこかぼんやりした感覚だった。入国審査のゲートを抜け、エスカレーターを降りると、目の前に現れたのは堂々としたトーテムポール。まるで、静かに私を歓迎しているようだった。
友人のもりるりとも無事に合流。カリフォルニアから飛んできた彼女は、見事なカウボーイスタイルに身を包んでいた。風の匂いまでも違う場所から連れてきたようで、もはや映画の主人公みたい。「ゆうかと会うことをミッションにしてたから、これで大丈夫!」「もう安心、あたしの任務終了」そうやって軽やかな笑顔で喜ぶ彼女を見て、私も自然と肩の力が抜けた。いや、やらかしモンスターの私で安心しちゃって大丈夫そう?
私たちは、まず空腹を満たすことにした。選んだのはサブウェイ。もりるりは地元風のサンドイッチに加え、よくわからないスープを頼んでいた。クラッカーまでついているそのセットが、なんだか「ザ・海外」という感じで妙に面白かった。サンドイッチを食べながら、ふと心に湧き上がる違和感があった。異国に来た実感が全然湧いてこない。実は最近まで、カナダにいたんじゃないかと思うほどに。
「なんか、味覚でガツンッと感じたいんだよね。カナダに来たってことをさっっ!!」
「チェックインしたら探しに行こうよ、ガツンと甘いもの!」
私のわがままにもりるりも乗り気で答えてくれた。旅は気の合う仲間がいると楽しい。
空港内をぐるぐる探索してようやく見つけたのは、ショーケースいっぱいに大きなクッキーが並ぶお店だった。そのサイズ感は手のひらいっぱい。日本ではお目にかかれないその大胆さに、思わずテンションが上がる二人。私はダブルチョコクッキー、もりるりはチョコチップクッキーを選んだ。お供に注文したコーヒーのサイズも、また規格外。「本当にレギュラーサイズ?」と二人で笑い合った。
クッキーを一口食べる。口の中で広がる甘さが一気に押し寄せた。甘さが脳天を突き抜け、まるで「俺様がカナダだ!!!どうだぁ!」と叫んでいる。まさに暴力的。「これだよ〜、私が求めていたもの!」
私のダブルチョコクッキーは、ねっとり濃厚で、少しココアのビターな風味が絶妙だ。もりるりのチョコチップクッキーは、しっとりと優しい甘さで、正直に言うとそっちの方が美味しかった。うぅ、ちょっと悔やまれる。
しかしあの暴力的とも言える甘さが、私に確かにカナダの存在を教えてくれたのだ。『視覚的な刺激に頼らず、味覚的刺激を求めるべし』…メモメモっと。とはいえ、旅は始まったばかり。これから訪れるすべての景色が、私の五感を満たしていくのだろうと確信する
飛行機の中で、扉を開く
手に握りしめた小さなチケットには「Sandspit行き」と書かれている。目的地はHaida Gwaii (ハイダグワイ)。
小型の飛行機に乗り込むと、そこは不思議な温かさに満ちていた。乗客たちは親しげにおしゃべりを楽しみ、まるで長年の知り合い同士のようだった。私はそっと席に着くと、隣に座る女性がカバンの中を探っている。「あぁ、イヤホンをどこかに落としちゃったみたい」そうポツリと呟いた。その言葉に予備のワイヤレスイヤホンを取り出し、恐る恐る声をかけた。「よければこれ、使いますか?」すると彼女は、「まぁ、ありがとう!」と笑顔を輝かせた。その笑顔に触れて、私の心もじんわりと温かくなる。彼女の名前はペイジー。
飛行機が滑走路を離れると、私たちの会話は自然と弾んだ。ペイジーは、Haida Gwaiiで生まれ育ち、今日は親友に会うために島に戻るのだと言う。
「ドリンクサービス、何にする?」とペイジーが尋ねる。私はビール、彼女はワインを選んだ。小さな紙コップを掲げ、「乾杯!」と声を合わせる。本当は、時差ボケを埋めるために眠るつもりだったけれど、そんなことはどうでもよくなっていた。ただ、この一瞬を楽しみたい気持ちでいっぱい。
やがて、窓の外に小さな島々が見えてきた。ペイジーの目がふと潤む。「本当に素敵なところなのよ…」と小さな声でつぶやくその横顔に、胸がじんとした。この島には、彼女の人生の欠片がたくさん詰まっているのだろう。瞳に映る景色は、きっと私には想像できないほど深い意味を持つのだろう。私にはあまりにも遠い島だけど、旅の終わりには、あなたの言葉を心の底から理解したいよ。
飛行機が島の空港に到着すると、私たちはハグをして別れた。「あなたの友達と、素晴らしい思い出を作ってね!」と言ってくれたペイジー。Haida Gwaiiへの扉は、ペイジーのおかげで優しく開かれたと思う。ありがとう。
月のような島 ─先住民の歴史─
飛行場に降り立ち、久しぶりにうえむの姿を見つけた瞬間、一気に嬉しくなった。彼はハイダの伝統的なネックレスを首から下げて「お疲れさん〜」と抱擁する。
うえむとはもうかれこれ6年の付き合いになる。彼の人生は、まるでサーフィンのように波を乗り越えて、自由で力強い。そんな生き方が、私はとても魅力的だと思う。もりるりは先に降りていたらしく、3人でフェリーへと移動する。
船着場に到着すると、海と森の景色を眺めながらのドライブが始まった。車内にある流木でつくった釣竿が可愛かったり、途中で「ここが一番うまい」と豪語する、うえむおすすめの湧水を飲んだり、いちいち楽しすぎる。アザラシも見えるチャンスがあるとか。この日は雨だったせいもあり、海面を叩く波音も荒々しい。
ふと、ある看板を何度も目にしていることに気づいた。大きな写真に写る少女の顔に、無情にも「Missing」と書かれている。「行方不明って、どういうこと?」と尋ねると、「先住民の女の子が誘拐されたんだ」と、うえむは静かに答えた。その言葉が胸に響いた。
ここが先住民の島だということを、今までどこか遠い世界の出来事だと思っていたけれど、その看板が一瞬で現実へと引き戻した。カナダの先住民の寿命は、平均で10歳も低いという。特に女性や子供たちはより脆弱で、命を奪われるリスクが高いと聞いていた。知らず知らずのうちに、どこか自分の中でそれを薄めていたのかもしれない。
うえむが語る、先住民たちの歴史。自殺率が高いこと、アルコールやドラッグの影響が深刻であること、そしてその根底にあるものが何であるのか。何世代にも渡る痛みとトラウマ、先住民の土地を奪われ、強制的に立ち退かされ、構造的な差別の中で生きる日々。「数年前にも、寄宿学校で子供500人の遺体が見つかった」と、うえむが言った。1996年まで、先住民の子どもたちは、アイデンティティを全否定される寄宿学校へ送られ、苦しみ、虐待されていた。そんな事実が胸を締め付け、言葉もなくただただ痛みが込み上げてきた。何も悪くないはずの子どもたちが、どうしてそんな目に遭わなければならなかったのか。人であることを恨むような思いが湧き上がった。
それでも、ここで得たこと、感じたことを決して忘れず、何かを変える力にできればと強く願った。どんなに痛みを伴っても、現実と向き合うこと。それが今、私にできることだと思ったから。
自然を胸いっぱいに感じたり、先住民の歴史を聞いたり。
この島は、まるで月のようだと思った。新月、三日月、満月。表情を変える月のように、光と闇をすべて包み込み、受け入れる場所。どこか神秘的な空気も、この島には目に見えない真実があるのだろうと思った。
うますぎハラスメント
ドライブを終え、ようやくMasset村にあるうえむの家に到着した。私ともりるりは、うえむの家の近くにあるスクールバスに泊まることになっていた。そこが可愛すぎた!「オンボロ銭湯バス」と聞いていたので、どんなものか全く想像がつかなかったけれど(そりゃそう)、それはまさに想像を超える別世界。苔むしたバスが、まるで『もののけ姫』に出てくるような、しっとりとした森の中に佇んでいる。映画のセットのようで、思わず「本当にこんな場所が実在するんですか?」と目を疑いたくなるほど。近くにはサウナと銭湯が併設しており、森の(野外)シャワーとトイレもある。手洗いの陶器には可愛らしいお魚柄が描かれていて、何気ないところまで丁寧。もはや魔法か。キャッキャしながら撮影会スタート。
うえむの家までは徒歩で数分。そこに待っていたのは、天使。ルームメイト・エディのわんちゃん、リオだ。困り顔をしたリオに、一瞬で心を打たれてしまう。
木でできた温かみのあるお家、そして赤々と燃える暖炉の火が、私たちを迎えてくれた。寒さも忘れ、心地よい空気の中で、私とルリはいつの間にか眠りに落ちてしまった。
目を覚ますと、うえむが絶品サーモンいくら丼を作ってくれた。「ひゃー、これがあの夢に見てたやつ〜」と二人で感激しながら口へ運ぶ。これが美味しいのなんの、至福の世界です。鮭がホロリと口の中でほぐれる。程よい甘さのタレが絡んで最高。出汁醤油にもいくらの風味が溶け込んで、もはやそれだけでご飯をかきこめる。食べるというより、むしろ食らいついている私たち。手作りって、パワーがあるなあとしみじみ感動する。
うえむが「エディは先生をやってるんだよ〜」と、彼のルームメイトを紹介してくれる。ナイスうえむ、気を利かせてくれてありがとう。実のところ、少し緊張していたので嬉しかった。そしてエディは、優しさが溢れ出ているような人だった。困っている人がいたら、100発100中迷わず手を差し伸べるだろう。リオという犬に続き、飼い主のエディもまさに天使。これからの2週間、私は天使エディの大ファンになるのであった。
幸せが3D
さて、今日を締めるのはサウナだ。これまで体験してきたのは、電気で温められたサウナばかりだったけれど、今回は薪で温める本場のサウナ。うえむが「サウナは、大切な人と語らう時間なんだよ」と熱弁してくれたその言葉が、薪のぱちぱちとした音と共に心に染み渡る。何もかもが穏やか。ぽっかぽかに温まった体を、井戸水シャワーでひんやりさせた、森が開けたところで外気浴を楽しむ。
もりるりと一緒に、目を見開いて「これまで私たちがしていたサウナとは...!?」と驚きの声をあげながら、心の中で幸せが3Dで広がっていくのを感じる。幸せが3Dとは、上っ面の言葉だけではなく、目に見えないもの、触れられないもの、感じるもの、全ての感覚が重なり合うこと。日本に帰ったら、なんでもいいから一日一回、新しいことをしようと思った。知らない音楽を聴いたり、食べたことのないものを食べたり、本じゃなくて詩を読んだり。新しいことはどこにでもあって、それを体験することで心が豊かになるんだということに、改めて気づいた。
うえむにおやすみを告げて、もりるりと「今日だけでこんなに幸せなのに、あと14日もあるなんて…」「いや、14日しかないよ!どうしよう」と、幸せが溢れ出すような思いに浸る。文章や写真で見ていたけれど、きて初めてやっとわかった。本当に、時間が溶けていたな。日付はすでに10月1日に変わっていたので、二人ともそのまま静かに眠りについた。
*夜中に目が覚めてしまった。トイレに行くために外に出ると、森の中の暗さが予想以上に深くて驚いた。うえむからはライトをつけてね〜と言われていたけれど、私はそれを無視して、「動物が出ませんように…」と祈りながら闇へ飛び出す。冒険したい気持ちだった。怖くて仕方がなかったけれど、それでも自分が小さな命をかけて踏み出している感覚で、ちょっぴり頼もしく思えた。(数メートル先のトイレに行くだけ) だけど案の定怖すぎてアホなので、もうやらないと決める。