ブンゲイファイトクラブ3・由々平秕によるグループBの評
藤田雅矢「金継ぎ」
3点(印2+技4+題3+思1/細0)
天文基地で定期メンテナンスを受ける月。そんな奇想をさりげなくも説得的に提示した冒頭一段落は並々ならぬ筆力の賜物で、特に「遠近法の先」の情報伝達効率はものすごく、まさに円盤の月を検めるように優しく練り上げられた名文だと思います。この情景から私はある種の博物学的メルヘンのようなものを予想したのですが、やがてSF的な背景が明かされ世界観は少しビターなリアリズムへと事後的にシフトチェンジします。その手つきもそつがない。ただし結びの段落についてはベストの選択だったか、やや疑問が残ります。月を金継ぎするという着想をついに解き放ったところで力尽きた感というか、少なくともこの結びが冒頭一段落と同じだけの寵愛を作者から受けたとは思えませんでした。あと、これは完全に好みの問題ですが月点検作業の細部はもう少しフェティッシュをゴテゴテさせてほしくもあり、そんなこんなで印象点が若干低めになっています。
坂崎かおる「5年ランドリー」
3点(印4+技4+題4+思1/細0)★
またも素晴らしい書き出し。この小説にはシベリアの街の歳月がスナップショットの缶詰さながらに詰め込まれているので、読み返すたびに冒頭の「5年。」にその記憶が少しずつ重なって、木製の家具に何度もニスを上塗りしていくように風合いが深まっていきました。どこかとぼけた楽観の漂う語りは温かくも、その裏面には、伯母も恋人もコインランドリーもみんなそれぞれの理由で去ってしまったし、これからも去っていくだろうという諦念が霜のように降りています。それを解かすのは最後に回帰する「水色の魚」であり、それは過ぎ去った自身の歳月を少女が初めて哀悼しえた切ない瞬間でもあるのですが、読者にとっては反復への誘いでもある。ノヴォシビルスクの5年がいかに速く不可逆なものだとしても、私たちはそれを何度も繰り返すことができます。言葉が書かれてあることの意味を思いました。
松井友里「第三十二回 わんわんフェスティバル」
2点(印2+技3+題2+思1/細0)
奇矯な催しが平凡な日常の風景を忽然として疎遠なものにする、のかと思いきや、この作品では主人公が不条理に翻弄されるどころか終始謎の自信に満ち溢れています。そんな彼女の語りには当初から過剰さ――描写の、あるいは感情の――が細かく積み重ねられ、最後の「ゆらりゆらり」に至って状況自体のわからなさは完全に後退、語る「私」こそが最も不気味な存在かのように浮かび上がる。こうした構成そのものは巧みながら、差し挟まれる個々の奇矯さや過剰さに若干、演出の手が透けて〈ためにするヘンテコ〉のように見えたきらいはあります。同じ危うさは「バックコーラスの傾度」にもたしかにあるのですが、あの場合は「いかにわざとらしく見えようとも私はこれが好きなのだ」という熱烈な偏愛を文の隅々まで満たし、かつ評にも書いたようにそういう作為を語り手の自意識に折り込む処理をすることで有無を言わせぬ仕上がりになっていました。本作にはそういう感性と技巧の圧があと一歩足りなかったのではないでしょうか。このことは主人公の無双モードの説得力を弱め、ツッコミ不在の世界観が死守すべきはずの強度をやや頼りないものにしています。
薫「小さなリュック」
3点(印3+技3+題3+思3/細0)
アルバイト先で起きた少女の飛び降り自殺をめぐる語りは淡々としつつ、そこにシニカルな響きが一切ないのがすごいと思いました。現実の酷薄さを突きつけるためのマッチョな禁欲でも、だらしなく自己弁護された鈍感さでもなく、自然な心の動きをつっかえながらなんとか言葉にしようとしていつもどうしても無表情に見えてしまう人の、何か切々としたものを感じます。それは例えば一見無造作に繰り返される「別に」という語にも表れていて、そこで語り手はほとんど誰にも気づかれないくらい小さな嗚咽の予感を鼻筋に覚えているようでさえあります。飛び降りる直前の少女の顔が大映しにされた部屋で休憩を取る、という半ば奇想の域にある展開にも悪趣味が匂わないのは、そういう語りの力だと思います。
さばみそに「沼にはまった」
2点(印2+技2+題2+思1/細0)
透明な沼とは一体なんであれ、重要なのはそれが「はまった」人の「人生終了」の合図となってしまうことでしょう。ランダムなタイミングで陥り、ランダムな期間姿を消し、ランダムな場所に再び現れる。これほどの無作為と無意味を許容する余裕がもはや私たちの社会にはなくなってしまっているのだということを、無関心な通行人やうわべだけの友達、非常時にもやめられないネットニュースのザッピングといったクリシェも用いつつ、描き出します。こうした構図はそれだけでは、しかし少しわかりやすすぎるかもしれません。作品を平板な寓意に自閉させないための鍵は、システムの外から唯一無邪気な関心を語り手に寄せる黒猫の描き方にあると思うのですが、肝心なところで叙述が乱れ、微妙にがちゃついた印象のまま終わってしまうのは残念でした。最後の展開をもっと鮮やかにスマートに彫琢できていれば読後感はまた違っていたと思います。
川合大祐「フー 川柳一一一句」
3点(印3+技3+題3+思1/細0)
混沌とした印象とは裏腹に統辞そのものは全く常識的です。つまり句の個性を作っている項をひとたび未知数に置き換えて「Aに似てBしないC」「DのEであるF」などとしたうえで、例えばA=父、B=家事、C=兄、D=母、E=実家、F=富山を代入すれば、何の変哲もない文になる。もちろん実際の作句方法は知る由もありませんが、あくまでも理念的なレベルにおける生成原理を推測するなら、これらの句は何か言語以前の不定形なイメージに言葉を与えていった結果ではなく、このように予め与えられた式へ何を代入し何を出力するかにそのクリエイティビティが賭けられているように見えます。ただしその際、語彙の選択・連想の基準や、個々の句が〈意味〉を結ぶ度合いや方向性には――手術台のうえにミシンとこうもり傘を置くようなものもあれば、まがりなりにも全体として何か一つの状況や存在を描出するものもあるというふうに――かなりバラついている。これが意図的なのであれ、いずれにしても作者と〈意味〉との関係には(そのパンキッシュな勢いとは裏腹に)ミクロな癒着と離反を繰り返す、意外と駆け引きめいたものがあるのかもしれません。この点を魅力とするか弱さとするか、おそらく両面あるのですが、断じきれなかった結果この点数になりました。なお好きな句は「猿エモし箸を捨牌だと思う」「友蔵の町にあかるい化石掘る」「五大湖の角度合算しはじめる」あたり。たぶん「ぶんか社の…」では意味に、「旋頭歌を…」では非意味に寄りすぎていてその中間が私の好みなのでしょう。
以上より、3点獲得作品が四つありましたので元の合計点が最も多い「5年ランドリー」の坂崎かおるさんを勝ち抜けファイターに推します。
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