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【解説】フリクリを“ただのサブカルアニメ”で終わらせないために

『フリクリ』自体の説明などは、これを読みにくるような人には必要ないので省略。

『フリクリ』の解説記事第二弾です。第一弾(ストーリーの解説)はこちら

※全話視聴済みが前提の内容なので注意※

今回はタイトルの通り作品全体としてのフリクリの魅力は一体なんなのか、書いています。

目次は今回あんまり使う意味がないです。順番に読んでいただけるとありがたいです。

フリクリってなんだ?

フリクリは、最高のアニメである。
作画がたまらない。吉成アクション、西尾アクション、アクション以外のシーンも。
音楽がたまらない。バカでかいギターの音が脳を刺激しまくる。
雰囲気がたまらない。平松さんの作り出す日常感のある画面も、今石さんの作り出すハチャメチャな画面も。
これだけではなく、語りきれないほどのたくさんの魅力がフリクリという作品にはある。

フリクリは、いわゆる“サブカルアニメ”としてメチャクチャに完成度が高く、人気がある。会話のテンポがいいし、コメディシーンも多くて楽しんで見ることができる。日本ではイマイチだが、海外ではカルト的人気を誇っているのも頷ける。

「フリクリは内容は深く考えないで心で感じるアニメだ」

これを良く見る。考えるな、感じろ。そういうことだろう。めちゃくちゃわかる。

だけど、本当に“考えるな”でいいのだろうか。ストーリー・テーマに目を向けず、“心で感じるサブカルアニメ”としていいのだろうか。

今回のnoteでは、フリクリという作品全体の構造から、この疑問について考えていく。

本題

結論から述べると、実はフリクリは「あえて、一見“サブカルアニメ”に見えるような構造で作られている“理屈アニメ”」である。
(「作者の人そこまで考えていないよ」と思う人もいるかもしれないが、一応複数の参考文献をもとに作成しているので、そんなことはないはずです。)

どういうことなのか、一つずつ説明していく。

“理屈アニメ”であるとは

まずは“意味不明”とされがちな「ストーリー」と、その状況を作り出している「演出」について。

ストーリーについては私のフリクリ解説第一弾のnoteでまとめているので、できればそちらを見てもらってからこちらのnoteを読んで欲しい。

まず前提として、実はフリクリはストーリー・設定はこれでもかというくらい理屈で作られている、スーパー理屈アニメである。
キャラクタの起こす行動全てにきちんとした動機が存在して、メインストーリーを追う際に必要な情報はほぼ全て適切なタイミングで作中に描かれている
また、基本がSF的な世界観なので、決して王道ストーリーといったわけでは無いが、話の筋は非常に簡潔でわかりやすい。後述するメインテーマに対してのドラマを、じっくり丁寧に描き上げている。

それが断片的だったり、比喩的だったり、ストーリーに関係のないギャグや、ミスリードの描写があったり、また画面上に現れる多様な演出があることによって、肝心の情報が少し見つけにくくなっているだけなのである。(当たり前だが、これはあえてわかりにくくしている。)

具体的な説明として、小倉コンテの4話を取り上げる。

この話数は「落ちてきた人工衛星を、これまでバットを振らない少年として描かれてきたナオ太が、少しだけ成長をしてバットを振って打ち返す」という、メインストーリーの中で、

・ハル子の策略(アンドロイドのカモン関連)
・ナオ太の行動に対するマミ美の話
・入国管理局(アマラオたち)の存在
・N.Oなどの設定の説明


などのサイドストーリーが同時多発的に動いている。メインストーリーはシンプルなので追うことは容易だが、サイドストーリーは間に合わなくなることが多い。
“演出”としては、小倉さんの趣味全開のスプラッター的な映像や、時系列入れ替えの構成などでメチャクチャクセの強いものになっている。また、4話ピークに流れ出す「Crazy Sunshine」がカッコ良すぎる。これらの要素に気を取られていると、メインストーリー・サイドストーリーを見失ってしまう。(というより、勢いで見ている気持ちよさが勝ってしまう、といったところか)

この4話と同様に、フリクリは全体を通してメインストーリーやサイドストーリーが多様な演出で隠されている。
言うなれば、作品の1層目に冒頭に述べた“サブカルアニメ”的要素が、2層目ストーリーがある、といった構造になっているのである。

さらに、この“ストーリー”が“理屈で作られている”というのがミソで、ここまで整ったストーリーを一見ただのサブカルアニメに見せてしまう、それを可能にさせる程の圧倒的な演出力がある、ということなのだ。
そこが我々が1番に感じる、“考えるな、感じろ”と表現される「フリクリの面白さ」の本質的な部分なのではないか、と考える。

メインテーマの普遍性

1層目、2層目と説明してきたので察しのついている方もいると思うが、3層目が存在する。これは作品として考えれば当たり前のもので、作品の“テーマ”である。
さらにここで特筆すべきなのは、そのテーマの普遍性である。

ストーリーを把握した方であれば容易に本作品のメインテーマに辿り着けると思うが、本作品のメインテーマは「子供と大人」である。

テーマに対しての詳しい解説は、ストーリー・設定解説の方でも述べたが多くの解説サイトが存在する上、答えは一通りとは限らないので今回も省略させていただく。

ここで重要なのはそのシンプルさである。実際、テーマを認識した上でフリクリという作品を見てみると、至る所にメインテーマに関するアレコレが描かれていることに気づくだろう。ストーリーのところでフリクリは理屈アニメだと述べたが、それはテーマについても同様である。丁寧な一本筋のメインテーマがあり、たくさんの「子供と大人」のキャラクタが登場し、それぞれの立場とその成長が描かれている。
加えて、SF的なストーリー・設定があるのにも関わらず、非常に現実的で普遍的なテーマになっているのも面白いところである。(そもそもフリクリをSFではなく、“日常的なアニメ”として認識していればこれは当たり前のことではあるが、これはまた別の話…)

『フリクリ』では、答はもう最初から言ってるようなところがあるじゃないですか。“本当に大人になるためにはちゃんとまず子供らしい子供でいないとダメなんじゃないの”っていうこと。6話の中で、ハル子によってそのことに気づかされるナオ太のドラマをじっくり見せたいということが全体の構成です。(榎戸洋司のインタビューより引用)

フリクリズム++

このように、1,2層目の複雑な要素で覆い隠している3層目が、実は1番シンプルすぎるほどの普遍的なテーマがある、これもフリクリの大きな魅力の一つだと、私は考える。

結論

ここで最初に述べた結論に帰結する。
「一見“ただのサブカルアニメ”と見せかけ、そこには理屈で作られたストーリー、普遍的なテーマが存在している」という作品全体の多重構造、
これを実現させられるほどの圧倒的な演出力、
これがフリクリの持つ大きな大きな魅力の一つであると考える。

また、ここまで考えるとそもそもフリクリを“〇〇アニメ”という括りにするのもどうなの?という話にもなる。“フリクリ”は“フリクリ”なのだ。

noteタイトルと関連つけて言えば、“ただのサブカルアニメ”で終わらせてもいいけど、それだと少し寂しいよね、という結論になる。もちろん「オレはその表面の部分が好きだからそれ以外は考えなくていいんだ!」でも最高の受け取り方だと思います。みんなそれぞれのフリクリがあって良い。

おわりに


フリクリの解説記事としては第二弾でしたが、まだまだ書き逃していることがたくさんあるので、そのうち時間ができたら書いていきたいです。

また、第一弾の記事と合わせて、皆さんの中でフリクリに対する何かしら新たな発見があったら嬉しいです。

それでは、よいフリクリライフを。

参考文献

・フリクリックノイズ
・フリクリズム++
・アニメスタイル007
・とある匿名掲示板のとあるスレのスレ主のレスと自分のレス

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